100マイルの終わらない物語

100マイルの山岳レースに挑戦した記録です。長いです。だって100マイルだもの。

おんたけ100マイル2019 未完走記(156km地点でDNF)

2019年のONTAKE100は156km地点、最後の下りでDNFとなった。

身体が活動停止状態となり、全く走る事が出来なくなってしまったのだ。(小難しい表現をしているが、要するにただのマイル腰)

f:id:ayumuut:20190826210044j:image

自分自身の100マイルとしては初めてのDNFとなった今回。あと少し、最後の10km身体が動いたならばゴール出来たのにという悔しさは、もちろんある。

だが、制限時間24時間という厳しい関門を通過するために、いつもよりハイペースでプッシュをし続けて、自分の持てる力を出し切った結果だから仕方がない。

このブログは「完走記」だが、敗北の中にも何か拾えるものがあるのではないかと思い、おんたけの苦闘の記憶を残そうと思う。

 

松原総合運動公園は雨。エントリーをすませてバンガローで雨音を聞きながら仮眠をとった。

午後20時スタート。雨のロードを走る。第一関門までが厳しいタイム設定と見ていたので、そこそこのペースでプッシュして進んでいった。ほどなく林道の登りに入る。ストックを使って身体を押すように登って行った。

今年は逆回りにコースが変更になったことで、最初に大きな山を越えなければならない。

f:id:ayumuut:20190826210643j:image

最初のピークにつくのが想定では2時間半くらいと思っていたが、思いのほか早くにピークに到着して、長いロードの下りに入った。下りは飛ばす人が多くてかなり抜かれてしまったが、そこは焦らずセーブしながら長い坂を下り切って第一ウォーターエイドに到着。

なんとここで早速エイドが水切れ!ポリタンク2つはさすがに足りないでしょ。さすがのOSJクオリティだと笑ってしまった。

ボトルにはあと300mLくらい残っていたし、雨で気温もそこまで高くなかったので、水をセーブしながら次の関門まで進むことにする。

 

ここから先はだらだらとした林道の登りに入る。雨足も強くなってきた。水たまりが川のような渡渉になり、諦めてザブザブと進む。

降りしきる雨の中、ようやく第一関門に到着。ずぶぬれのテントの中で皆が着替えている。空腹を感じたのでクロワッサンを二個食べて、しっかり水分補給をしてスタートしたのだが、その間だけで一気に身体が冷え切ってしまった。

寒い、寒すぎる。

レインの下をドロップバッグに入れてしまったことを後悔しながら、雨の登り坂を無理に身体を動かしてプッシュすることで、身体を温める。UTMFの雪に比べりゃマシと自分に言い聞かせながら。

f:id:ayumuut:20190826210325j:image

そこから先はチームの瑞穂さんと一緒になりながら、進んでいった。瑞穂さんとは、下りで置いていかれて、登りで追いつく、というのを何度も繰り返すことになる。自分は登りが苦手で下りの方が好きなのだが、瑞穂さんとはそれが入れ替わるのが面白かった。

50 kmのウォーターエイドを超え、雨の林道を進んでいくと次第に夜が白んでいった。

途中で距離調整のためなのか盲腸のような片道2kmの折り返しコースに入る。戻りでランボーズのメンバーとすれ違い、自分がそれほど悪くない位置にいることを知って少し安心をする。

いつもの自分のマイルのレース展開に比べると、今回は明らかにオーバーペースだ。だがその結果、これまでのエイド通過で1時間以上の貯金を作れている。

このままある程度のスピードを維持しながら巡航すれば、完走は出来るはずだ。40kmくらいから左膝に少し違和感を感じるようにはなっていたが、このままペースを緩めずにしっかり走ろうと、この時には心を決めていた。

 

中間地点、86km地点エイド到着。関門時間10時のところ、8時30分頃到着。100kmに出ているメンバーと会って、元気をもらう。ドロップバッグを受け取って、急ぎで冷やしうどんをかきんだ。

8時45分頃スタート。まだ貯金は1時間以上ある。さあここからが勝負のループのはじまりだ。

 

第一ループの下りは本当に長かった。

下りが得意な瑞穂さんがぐんぐん先へと走っていく。前半は下りで足をセーブするようにしていたが、ここまで来るともう気にもしていられなくなっていた。

うんざりするようなガレた下りを走り切ると、ロードのだらだらとした、走ろうと思えば走れるくらいの、いやらしい斜度の登りが現れた。

ここで自分ルールを決める。ガードレールのあるところだけは走り、無いところは歩くというマイルールに従って登っていった。

f:id:ayumuut:20190826210449j:image

嫌になるほど長いロードの登りが終わると林道に入り、必死に登り続けると、遠くにまた瑞穂さんの背中が見えた。

2人で登っていくと、後ろからリタイア者を乗せるハイエースが追い越して行き、その先の林道で止まった。頂上の第三エイドに戻ってきたのだ。

 

11時40分頃、二度目の第三エイド到着。約20kmのループを3時間でクリア出来た。瑞穂さんがいいペースだねと喜ぶ。

二度目のエイドは100kmと100マイルのリタイア者で溢れていた。同じチームのメンバーも送迎の車を待っていた。夜の雨に低体温症でやられたようだった。

僕と瑞穂さんは手短にコーラの補給を済まして、再びスタートした。

 

そこから先の下りはまたもや瑞穂さんに離されてしまい、100kmの後半の選手がゆっくり下っている合間を縫うように、抜いていった。

次の第四関門は14時だ。遅くとも13時30分には着いておかなければ、その先のゴールが怪しくなる。ランナーを抜かしながら再び谷の底まで下り切る。ゼッケンの写真を撮ってもらい先へ進んだ。

その先114km地点エイドの駐車場では皆座ってそうめんを食べていたが、時間に余裕が無いのでスルーしてすぐにロードの登りに入った。

登りは全歩きしないように、走っては歩くを繰り返しながら、長い登りを行く。

 

13時20分、118km地点であり最後の第四関門到着。

無事に最終関門を通過したと言うのに、安心感は全く無かった。あれだけがんばって走ってきたのに、ループで少しずつ貯金を食いつぶし、残りは40分しか余裕がなくなっていたのだ。全くなんて関門設定だ。

もう補給するものも無い。顔に水をぶっかけて、その先へと向かう。

 

エイドの先も長い登りだった。100kmのコースで見憶えのある長い坂を必死に登る。ここまできたらゴールしたい。ガレた林道を必死にちょこ走りで登っていく。細かい登りと下りを繰り返す、これぞおんたけというようなコースを、徐々に高度を上げていく。

ようやくピークに来たかと思いきや、少し下るとまた長い登りが始まった。

あの角を曲がると下りになるのか・・・まだ。次の角か・・・まだだ。

何度もこの葛藤を繰り返しながら、走る座禅は続いた。ようやく林道の下りが始まった時は、心底ほっとした。

ガレた林道を走る。登りで時間がかかりすぎたので、ペースを上げて下る。心拍が上がるがもう気にしてはいられない。走る。ただ走る。

息を荒げて最終エイドにたどりつき、椅子にぐったりと座りこむ。16時20分、133km 地点に到達。

 

あと1ループ。残された時間は3時間30分。

確かブリーフィングで最後のループは5時間は残した方がいいという話があった。残り時間は4時間30分。やれんのか俺。

正直ここまでプッシュし続けたのに残り時間を削られ続けて、かなり心も疲労していた。

だが最終エイドには瑞穂さんがいた。行けますよ、そう言って彼は先にエイドを出て行った。

 

ここでレースを止められたらどんなに楽だろうと思う。

今思えば、この時点でかつてないほど気持ちを折られていたのかもしれない。


くたくたになった身体をしばらく休め、16時40分頃、最終ループをスタートした。

少し坂を登ると、胸が締め付けられるような息切れがした。

数歩登っては息を整え、また登っていく。

登っていくと坂の上からは多くのランナーが諦めて引き返してきた。身体はもうカラカラになってしまっていたが、下りのランナーとすれ違うと、なにくそという気持ちが湧きあがってきた。


ここで坂を引き返せば、楽だろう。でも、引き返せば完走確率はゼロだが、進めば完走できる確率は一気に上がる。

いまここで怪我もしていないのに来た道を戻るという選択肢は、やはりない。

関門で切られたとしても、僕は先に進む。

 

うんざりする林道の登りを登っていると、後ろから女性ランナーが追いついてきた。千鶴さんという、MBにも何度も出ている強い人だった。

なかなか厳しいですねえ、と僕が言うと、でも私行けると思っているんですよ、と彼女は言った。

彼女は驚くほど正確にコースを覚えており、僕は先ほどからいつになれば周回からもとのコースに復帰できるのかともやもや考えていたが、彼女はあと数度のアップダウンとピークを通過すれば、時間的には19時には先ほどのエイドに戻れるはずだという事を、驚くほど論理的に組み立てて、僕に説明をしてくれた。

 

疲れ切っていた身体に、スイッチが入ったようだった。

登りも再び走りを混ぜながら、ポールで身体を押し上げながら必死に進んで行った。

 

がむしゃらに登りを行くと見憶えのある繰り返すアップダウンからようやく最後のピークにたどり着いた。最後の峠をようやく越えた。林道の下りが始まった。

下りはじめは18時20分頃。前回も下りは40分程度だったので、しっかり走り切れば、19時には最終エイドに着く。制限時間の20時にはゴール出来るはずだ。

喜びが胸にじわっと広がった。

 

だが、甘かった。

 

林道を下り始めて少しすると、身体に異変を感じた。

腰が横にくの字に折れたように曲がってしまい、元に戻らない。走ろうとしてもうまく走れない。それはUTMFの最後の下りでも発症した、いわゆる「マイル腰」だった。


ここまできてマイル腰だなんて、こんな事ってあるだろうか。

あと走って下りさえすればゴールは出来る。何とか身体を引きずって、無理やり走ってみる。しかし数歩走ると上半身と下半身の動きがバラバラに連動しなくなり、動けなくなってしまう。痛みは無いのに、走れない。まるで自分の身体じゃないみたいだ。

ストレッチをしたり、ポールをザックにしまって腕振りをしたり、身体の動きを変えるなどの工夫をしてみたが、一度ブレーカーの落ちてしまった身体は、完全にその動きを止めてしまった。

 

陽の落ちてきた林道をとぼとぼ歩く。歩きながらヘッデンに陽を灯した。

18時40分。既に完走するのは難しい時間になってしまっていた。


ここへきて降り出した雨は、容赦なく振り続け、僕は再びレインウェアを羽織った。

歩くことすら困難になった身体を引きずりながら林道をゆっくり進み、ようやく遠くに最終エイドの光が見えた。

到着してDNFを告げる。

19時40分最終エイド、156kmの旅が終わった。

f:id:ayumuut:20190826210539j:image
レース後

・初めてのマイルDNFは、今もほろ苦く僕の中に残っている。しばらくは敗北の味を嚙みしめよう。

・もちろん悔しいが、限界までプッシュして先へと進んだので後悔はない。最終ループで引き返さなくて本当に良かった。

・しかし最終ループに入る前に一度気持ちが完全に折れていた。その後の千鶴さんの言葉で復活したが、メンタルをぽっきりとやられたのは初めて経験だったかもしれない。ゴールに間に合わなくても仕方ないという思いもどこかにあったように思う。

・205人出走、完走者58名、完走率28%。参加資格がおんたけ100kmを14時間以内で走る事を考えても、完走には相当な力量が必要。

・ではどうすれば完走出来たのか。腰の対策は別として、ベースとなる走力が必要。おんたけを完走するには、ロングの峠走でスピードを身につけなければならない。そういう意味でスピードの無い自分には苦手な部類のレースだった。

・マイル腰、130km以降でしか発症しないので対策が難しい。だが光も見えている。まずは腰にテーピングをして緊張を取ること。そして抗重力筋をケアすること。特に後者は日常生活の中で緊張をとる癖をつけている。

・トルデジアンは連続してプッシュをしないので腰はあまり心配していないが、油断せずにいこう。絶対に完走してやる。うん。