100マイルの終わらない物語

100マイルの山岳レースに挑戦した記録です。長いです。だって100マイルだもの。

UTMF2019 100マイル完走記(127km地点にて雪のため中止)

ここまで過酷な展開になると、一体誰が想像をしただろうか。

そんな2019年のウルトラトレイルマウントフジだった。

 

朝。こどもの国に向かうにつれて雨足が強くなっていく。前日のブリーフィングでは快晴という話だったのに。スタート地点へ到着したときには既に本降りになっていた。

大雨の中レギュレーションチェックの列に並ぶ。 ずぶ濡れでうずくまって荷物の準備をする選手たち。思い返せばスタート前から既に昨年とは違う兆しはあったのだ。

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午後12時、歓声の中をスタート。 ゆっくりと人の流れ乗って進んでいく。 前半は林道のパートを頑張りすぎずに進んで行くが、ゆっくり入ったせいかトレイルに入るところで渋滞。 そしてこの渋滞に前半はかなりの時間を割かれることになる。 送電線の下を続くトレイルには時折アップダウンがあるが、その度にしばらく渋滞は発生し、キャプリーンを脱いだり着たりで体温調整をしなければならなかっ た。

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渋滞で何度も足止めをされながら富士宮エイドについた頃には、既に目標タイムに対して2時間以上も遅れていた。エイドでチームメンバーや知っている顔に出会えて安心をする。ここから天子に入るため、水を1.5Lほど補給してすぐにトレイルヘッドへと向かっていった。

 

天子への登りは多少渋滞はしていたが、 おかげで心拍を上げすぎることなくマフェトンペースで登ることが出来た。 昨年は15時スタートなので天子に入る頃は既に暗かったが、今年はまだ明るい夕刻なので、先に登っていく選手も良く見える。 淡々と、ただ淡々と足を運んで天子ケ岳への斜面を登っていった。

思いのほか早く天子ケ岳に到着。 そこからはアップダウンのある稜線を進んでいく。 次第に森が闇に包まれていった。 長者ケ岳のあたりでチームのメンバーと一緒になる。「渋滞のおかげで体力が残っているから、 麓エイドについたら焼きそばを美味しく食べられそうだね」などと会話をしながら進んでいった。

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熊森山へ向かう稜線を進むと本格的に暗くなり、雨も強くなってきた。レインウェアを着て、ヘッデンをつけたものの霧でホワイトアウトして足元が全く見えない。一緒に進んでいたコーイチ君が「ヘッデンの有色フィルターを忘れたのでウエストライトを使う」と言っているのを聞いて、 初めて濃霧でのフィルターの重要性に気づく。そういえばBTSで もヘッデンが砂埃でホワイトアウトしたんだったなあ。次からはフィルター持って来なきゃ。

 

熊森山からの下りで、天子の山は悪魔へと豹変した。 下り斜面は、雨でまるで泥の滑り台のようだった。当然大渋滞が起こる。渋滞の中 ホワイトアウトして凹凸の見えない斜面を下るのは非常にストレス だった。木を掴みながら慎重に下っていったのだが、 前で女性が何度も尻餅をついていた。

 

自分も慎重に進んでいたはずが、やはり大きく尻餅をついてしまった。グローブについた泥を木の幹で泥をふいてみたが取れたものではない。 両手が泥まみれになって、嫌な臭いがした。どこか水場で洗いたいなと思いながら斜面をずるずると降りていくと、ようやく遠くにコース案内スタッフが見えてきた。 やっとロードへの出口にたどり着いた。

 

長いロードを下ってようやく51km地点の麓エイドに到着。 もう既に目標にしていた昨年のタイム(39時間) 以上を狙うことは難しくなっていた。グローブの泥を入念に洗い落として、 ひとまず焼きそばで腹を満たした。 体力的には十分に余裕はあったが、泥まみれになってしまい気持ちは萎えていた。いるかもしれないサポートのメンバーを探す気力さえ無くなっていた。ここまで泥がひどいならドロップバッグに変えのシューズを準備してくるべきだったと 後悔していた。しかしこんなところで落ち込んでいる場合ではない。まだレースは始まったばかりだ。手短に補給を追えてエイドを出た。

 

しかし次の竜ヶ岳の下りはさらに大変だった。泥の斜面は全くグリップが効かず、まるでスキーのように滑り降りる他に下る方法が無い箇所も沢山あった。一度転んで気が緩んでしまったのか、何度も尻餅をついて坂を転がり落ちた。背中にまで泥が入ってきた。渋滞も酷かったが、 渋滞をパスして先へ行こうという気力さえ無くなってしまった。 ずるずる、のろのろ、と渋滞の行進の中トレイルの下りを落ちていく。

 

本栖湖沿いの固いロードに出たときは心底ほっとした。 しばらくロートを走ってようやく66km地点本栖湖エイド到着。

 

本栖湖ではランボーズの虎山さんと長田さんがいた。 ここまでの過酷な下りについて語り合う。寒いエイドの中ではストーブで暖を取っている人もいたりして、まるで野戦病院のようだった。きつかったですね、チームでは僕らがしんがりですかね、などと話をしながら補給をして、 身体が冷え切らないうちに早めにエイドを出た。

 

相変わらず雨は降り続いていたが、本栖湖沿いの山々は泥から小石の多い乾いたサーフェスへと変わり、走りやすかった。 本栖湖の南と北でここまで土質が変わるのかと驚く。昨年には明け方に富士の絶景が見えたパノラマ台は、闇と濃霧の中だった。 そこからトレイルをゆっくり駆け降りて、富士の樹海を走っていると徐々に空が白んできた。ヘッデンをしまう。さあ、朝がきた。

 

精進湖エイド(78km地点)には明け方すぎに到着だった。 北斗くん、下さん、ランボーズのボランティアのみんなが出迎えてくれた。 ドロップバッグの受け取って、カップヌードルにお湯を入れ、底冷えする冷気の中少しでも暖かい体育館の中へ入る。 体育館の床は倒れたように眠る人がいて、ここまでのレースの壮絶さをあらわしているかのようだった。あまりにも泥まみれの状態でシューズを変えたかったが、持ってきていないので仕方がない。 ウェアを変えることさえも面倒だった。 カップヌードルの大を買ってきたのだが疲労で全部は食べられなか った。それでも無理矢理胃袋に押し込んでエイドを出た 。

 

精進湖からはちょっとした樹海のトレイルを通って、長いロードの登りに出る。冷え切った身体を温めるためにジョグで進む。先にエイドを出た虎山さんに途中で追いついてしばらく並走した。長いロードも話をしていると気が紛れる。そのまま長いロードを登りきると再びトレイルに入り、紅陽台へと登っていった。ここでこれまでに経験した事の無い眠気に襲われた。二晩を走るレースでもそこまでの眠気は経験が無かった。レース前夜もたっぷり寝たはずだ。だが眠気は容赦なく襲ってくる。フラフラと蛇行をしながら登っていく。眠気と闘いながらなんとかトレイルを登り 切り、ようやく河口湖畔に降りる。そこからしばらくロードを走って勝山エイドに着いた。

 

勝山エイド(95km) ではサポートメンバーと時間が合わなかったが、幸い雑炊に炊き込みご飯を入れたものが振る舞われたのでしっかり補給を取ることができた。救急ステーションで足の裏を見てもらう。靴の中が濡れた状態で長時間走っていたせいか、右足の裏に豆らしきものが出来てしまったのだ。水を抜いてもらおうかと見てもらったが、そこまで大きな豆は出来ておらず、ワセリンをベッタリと足裏に塗って先へ進む事にした。

 

勝山から次の忍野までは長いロードの区間。ここは昨年ほど気温が上がらないこともあって走りやすかった。精進湖までの泥の嫌な記憶が薄れてきたのか、身体も元気に動くようになって快調に進むことが出来た。途中のコンビニでプロテインとおにぎりを買ってまた先へと進む。忍野の手前の小山では、昨年ほど足が疲れておらず軽快に登れる気がした。やはり前半の渋滞のせいか、体力は昨年よりもかなり残っている。

田園地帯を進んでいると途中から激しい雨が降り始めたのでレインウェアを着た。道路が水たまりのようになり、靴の中に冷たい水が入ってくる。その雨の中を忍野の山へと登っていく。下りでぬかるみがありまたあの泥地獄の再来かと心配をしたが、忍野の山では同じ泥でもグリップの効きやすい泥だったので下りも安心して走ることができた。長い忍野の山を越えて、降りしきる雨の中を114km地点の忍野エイドに到着した。

 

忍野エイドでは、前半では2時間以上あった昨年タイムからの遅れが1時間以内に短縮されていた。ここで装備チェックを受けて、 雨を避けるためテントに入ってストーブで暖をとる。 昼間なのに強い雨のせいもあって気温はどんどん下がっているようだった。

雨は土砂降りになってきて、強く地面を叩いた。 雨雲レーダーで見ると、ちょうど濃い雨雲が上空にあり、しかもそれはまだまだこの先も留まる事を示していた。雨が当分弱まりそうにない事を知って、観念してレインウェアの下を履き( 余程の寒さでも僕は基本短パンだ)、 上も持てる防寒を全て着て、テントを出た。

 

忍野エイドからは降りしきる雨の中、 田んぼのあぜ道を進んでいった。強い雨はみるみる体温を奪っていく。あっという間にレインウェアは雨が沁みて、身体も濡れてしまった。とにかく体温を維持するために、マフェトンペースで心拍130台で進んでいく。すると指先にじわっと暖かさが戻ってくるのであった。自分の血が身体の末端の毛細血管にまで届いていることが、 まるで目に見えるようだった。

しばらく進むと太平山へと登る広いトレイルだった。普通ならゆっくり登るはずが、体温を上げるためにプッシュして身体を温めながら登っていく。そうしてトレイルを登っていくと、雨粒が次第に大きくなり、 白い玉状に変わっていった。白いみぞれはすぐに雪へと変わり、トレイルの両脇に薄らと雪が積もっていくのだった。

程無くトレイル全部が白い雪に覆われた。柔らかな白い雪が世界を覆い尽くした。

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太平山の頂上に着くとそこは雪景色だった。 稜線を石割山の方へと登っていき、雪の積もった木段を上ると、ようやく山中湖への下りになった。 下りのトレイルは泥と雪の混じってぐちゃぐちゃだった。 冷たい泥と雪混じりの水が着地の度に足に沁みこんでくる。もうここまで来ると、シューズを変えても結局一緒だったよな、などと思いながら、下りのトレイルを走っていった。

昨年はここの下りで左足の脛に痛みが出たが、 今年はまだ痛みは出ていなかった。まだ行けるはずだ。 だがこの先の杓子山はこんな雪の状態で夜を通過出来るのだろうか 。身体が動くうちは大丈夫だろうが、万一途中で身体が止まってしまったら命に係わるリスクがある。どうするか。行くか。止めるか。次のエイドは127km地点。ゴールは射程圏内だ。ここで自らレースを降りるという選択肢はやはりないだろう。 いっそのこと中止の判断をしてくれればという気持ちもどこかには あったが、やはり進むつもりで山中湖エイドに到着した時に、レースの中止を告げられた。

127km地点、きらら山中湖エイドにてUTMF終了。

 

レース後

・きららにはランボーズの仲間たちが大勢いた。 豚汁を入れてくれて嬉しかった。

 

・ 忍野で終了した優子さんのサポートメンバーがきららに車で迎えに 来てくれた。あれがなければその日のうちに帰れなかったかもしれない。本当に助かった。

 

・チームメンバーの中には10位入賞した木幡さんや、二十曲峠まで行ったメンバーもいて、本当にすごいとおもった。

 

・いろいろあったが自然と向き合うスポーツだから仕方がない。2019年に続いて二回目の悪天候の短縮を経験したUTMF。やはり100マイルを完走するという事は、天候の運も含めて簡単な事ではない。

 

・今回の天候急変による運営の判断は素晴らしかった。過酷だった前半のコースマーキングには不満の声もあったようだが、100マイルを完走したければあの状況でルートを見失わずに下山するだけの最低限のスキルと走力は必要なように思う。100マイラーは他責のメンタリティではいけない。