100マイルの終わらない物語

100マイルの山岳レースに挑戦した記録です。長いです。だって100マイルだもの。

インドネシア BTS Ultra 100マイル完走記

BTS Ultra 170km(2018/11/2~11/4)

場所:インドネシア ジャワ島 Bromo Tengger Semeru 国立公園

 

BTS Ultraというインドネシアのジャワ島東端にある火山地帯で行われるレースに参加してきました。BTSとはブロモ山、テンガ山、スメル山(インドネシア最高峰)の国立公園の頭文字のこと。その雄大な景観に惹かれてエントリーをしたのですが、あまりの完走率の低さ(2016年5人、2017年10人)に相当タフなレースであろう事は想像がついた。ただ、いったい何が原因でここまで低い完走率なのだろう。170km、累積8500mで46時間制限と言えばほぼUTMF並みのコースプロファイルだ。それなのにこの完走者は、あまりにも少なすぎる。

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生半可に手を出すと火傷しそうなレースなのに、HPにあった動画を見た瞬間に出場を決めていた。このコースはヤバすぎる。身体が動くうちに挑戦したいと思った。

 

水曜日は夕方まで仕事をして夜の羽田空港へ。ゲート前で偶然同じ飛行機だったスースーさんと出会い、早速ビールで乾杯した。

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そのまま深夜便のLCCでろくに眠れないままクアラルンプール経由で朝にインドネシアのスラバヤ空港到着。虎さんが迎えに来てくれていた。2人で昼飯を食べて会場行きのシャトルバスを待つが、定刻になってもバスが来ないのでタクシー運転手の勧誘がしつこかった。他のアジアの国から来た参加者と一緒に待っているとようやく1時間遅れでバスが来た。久しぶりのアジアの洗礼だった。

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窓から見える風景が都市から農村へと移り変わり、凧が舞う空を見上げながらバスは東へと向かう。途中一度食堂に寄ったが、川魚の干物がパックされていたのには驚いた。スプライトとナッツを黒糖で固めたような菓子を買って、またバスに揺られて行った。

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4時間ほど経ってあたりが真っ暗になった頃、ようやくバスはブロモ山に到着。そこから宿まで別の車で運んでもらい、LAVAホテルに到着。町には砂漠観光のランクルが溢れていた。なんとスタート地点はホテルの入り口にありバンガローの目の前だった。

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早速チェックインしてビンタンビールで乾杯をした。遠かったのでここまで来ただけでなんだか達成感がある。

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その日は20時頃には就寝して、翌朝7時頃までぐっすり寝た。そしてバンガローから出ると、すぐ目の前にはあのブロモ山の勇姿が広がっていた。カルデラの中にブロモ山とバトゥ山、遠くにはスメル山とそれを取り巻く外輪山が一望出来るという物凄い光景だった。しかもその景色はスタートゲートの真横ときてる。これでテンションが上がらないわけがない。

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朝食のビュッフェを食べて、ギアチェックとエントリー手続きを済ませる。日本のレースと比べるとかなり緩いチェックだった。ゼッケン(06番と初の一桁。エントリーが早かっただけだが)と参加賞のTシャツとダッフルバッグをもらい、出店ブースを見ると日本のそれと変わらない品揃えだった。GPS時計も売られておりこのレースに参加する人はインドネシアではかなりの富裕層であることがわかる。

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部屋に戻ってドロップバッグに入れるジェルを作った。今回は粉飴を500mlのペットボトルに入れて持ってきて、現地でジュースで割るという方法を取ったが持ち運びも軽量で良かった。これであれば空港の液体持ち込みにも引っかからない。ただ大量の白い粉を持ち運ぶので荷物チェックで怪訝な顔はされるけど。

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準備を一通り終えてまた仮眠をとる。今回はLCCで眠れなかったが、スタートゲートの真横の宿で直前までしっかり寝溜め出来たのは良かったように思う。しかも天気は快晴。事前の天気予報では雷で大荒れ予報になっていたので、予報が外れてホッとしていた。昼過ぎにレストランをのぞくとスースーさんと安藤さんに出会い、昨年の完走者の安藤さんから100km地点のエイド後ではトレイル入り口がわかりにくいのでロストに気をつけること、関門設定はそこまで厳しくないこと、エイドではスープが出ることなどなどの情報を教えてもらった。異国のレースで全く勝手がわからなかったので少し安心した。

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夕方のブリーフィングも何故か行われず、ゲート周りは人も閑散として本当にレースがあるのかと不安になったが、もう一度仮眠をとって19時のスタートに備える。スタート直前に夕飯を食べて、部屋で最後の着替えをする。外が騒がしくなってきていよいよスタートが近づいてきた。突然自分の名前がアナウンスで呼ばれていると虎山さんが教えてくれた。焦ってゲートに行くと、1人ずつアナウンスで名前を呼んで迎えてくれていた。マイルの参加者は40人ほどなので、1人1人を読み上げて盛り上げてくれていた。既にスタートゲートにはスースーさんと安藤さんが最前列にいた。せっかくなので横に並んでみた。こんなのは初めての体験だ。アナウンスが突然コースマーキングの説明をはじめた。これがブリーフィングか。その後インドネシア国家斉唱。インドネシアと連呼するところだけ一緒に歌った。上空にはドローンが飛んでいる。そしてカウントダウン。いよいよ170kmの長旅の始まりだ。

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午後7時、スタートと同時に勢いよく飛ばしていったがいきなりの登り坂なのですぐに歩きに切り換える。ペースを落とすと他のランナーが次々と抜いていった。スタート地点が標高2200m、最高で2800mという高地のせいか序盤から息が上がる。普段よりさらに抑え目のペースを心掛けて真っ暗のトレイルをしばらく行くと、一気に下っていよいよカルデラの底に降り立った。

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カルデラの底は広大な砂地になっていて、柔らかいところは足を取られて走りにくかった。なるべく草の生えているところや固そうなところを選んで走っていく。しばらく走ると前方遠くに山の斜面をジグザグに登っていくヘッデンの列が見えてきた。いよいよ一発目の急登だ。ここでポールを組み立てて足を使わずに登る作戦をとった。急登の斜面には途中で段差のある岩場もあったが、落ち着いて一歩一歩登っていくと上の方に白い小屋の屋根が見えてきた。登り切ってようやく1つ目のW1到着。

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ここでは水分だけ素早く補給をしてすぐにスタートをした。走れる長い稜線なのでポールも収納する。走りやすい斜度のトレイルだが、全体が真っ白な砂のため走るともくもくと砂埃が舞い上がり前が見えない。今回初投入のレッドレンザーは電池の持ちは良かったが、白い砂を照らすホワイトアウトしてと凹凸がわからずサーフェスが見えにくくて難儀した。またトレイルの中央にはバイクに削られたらしい深い溝が出来ており、この溝には細かな砂が溜まっているため非常に足を取られる。仕方ないので溝の縁を行くのだが、こうした走りにくいパートが多くて序盤からストレスを感じた。

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しばらく行くと下りのロードに出た。白い砂は容赦なく靴の中に侵入してくる。まるで靴のサイズが小さくなったようだ。途中腰を下ろして靴を脱ぐと、砂がこぼれ落ちた。そして靴を履くとまだ違和感がある。ひょっとして、と靴下まで脱ぐと、中からシャーっと砂がこぼれ落ちた。おいおいフューリーロードのタンクローリーかよ。これは砂との戦いになると確信した瞬間だった。

 

長いロードを下ると18km地点W2到着。ここでも水分だけ補給したが、カップ麺が置いてあるのを見て安心した。

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ここから先は登り貴重のトレイル。多少右膝の内側に違和感もあるがまだまだ順調だった。いつもの自分のマイル運びが出来ている。大丈夫だ。そう思って安心して走り始めた矢先にアクシデントは起きた。

 

走りにくいU字の溝に足を取られて思い切り転倒して、斜面に転げ落ちそうになった。落ちまいと踏ん張ったところに、太い枝が出ていて右脇腹の肋骨に刺さったのだ。ミシッという嫌な音がして激痛が走った。あまりの痛さにしばらくうずくまり動けなかった。折れたのか?呼吸をしてみる。それほど痛みは変わらない。痛みが無いのであれば単なる打撲か。少しマッサージをして、ゆっくり動く。ポールを使ってみるが痛くて右手に力が入らない。まだ序盤なのに大丈夫なのか。嫌な三文字が頭に浮かぶ。いや、脇腹くらいでなんだ。両脚は大丈夫じゃないか。キリアンだって腕が骨折したのにハードロックを完走したんだぞ。そんな弱気でどうする。そう言い聞かせて進み始めたが、しばらく思考は痛みに支配されていた。しかもさっきまで感じていた膝の違和感は完全に消えて肋骨の痛みだけになっていた。痛みは時にスパイスってわけか。しかしこれは飛び切りのホットなやつだ。

 

しばらくトレイルを進むと夜の湖の横に出て、27km地点W3へ到着。午前0時30分。ここからは最初の大きな登りスメル山中腹へのピストンコースになるので、エイドでカップ麺をもらい気持ちを入れ直して登りへと向かった。

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しばらく行くとランナーらしき人が折り返してきたが、早すぎてトップ選手なのかリタイア者なのか正直よく分からなかった。しばらく間をおいて2位、3位と選手が戻ってくる。そこから順位を数えながら進んで行った。かなり登ったところで17位くらいで折り返してくるスースーさんと安藤さんとすれ違った。スースーさんは少し疲れていて眠そうだった。「まだまだ元気そうですね」と安藤さん、「まだ序盤なんで抑えて入っています」と答える。ピークまでそう遠くない事を教えてもらい、お互い頑張りましょうと別れた。

 

ほどなく登るとピークの34km地点W4到着。山の上に小さなテントがあり、赤いリストバンドをはめてもらった。

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この時点での自分の順位は22位くらい。丁度半分くらいの位置だ。この先順調に完走できれば上位の半分の選手は脱落してくるはずだから、10位くらいで昨年並みの完走率であればゴールは射程圏内だ。そう思うと痛みも少しマシになったような気がした。下りながら山腹を登ってくる後続の選手に声をかけていく。息が上がって苦しそうなランナーも多い中でえらく元気な選手がいると思うと100kmのトップ選手だった。しばらく下り続けて再びW3に到着。既にカップ麺が売り切れていたので白飯を補給する。

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ここから先は緩やかな登りのトレイルだった。ポールを使うとまだ痛みはあるが、ロキソニンテープを貼ったせいか少し痛みはマシになった気がした。緩やかな登りを越えて下り基調のトレイルをゆくと朝焼けが見えてきた。ネギ畑の中だった。集落の周りはとにかくネギ畑だらけだ。あんなに大量のネギを一体どこで消費をしているのだろう。

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そんな事を考えながら朝焼けの中を行くと小柄なインドネシア人の女性ランナーに出会った。その後彼女とはしばらく抜いたり抜かれたりを繰り返し事になる。途中の急峻な登りでへばっていると後ろで応援してくれたり、ユーモアのある女性だった。登った後は激下りのロープセクション。尻餅をつきながらなんとか下った。タフな登り下りをクリアしてしばらく行くと最初のデポバッグ受け取りエイドが見えてきた。

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54km地点W5b、朝の7時到着。なんとエイドではスースーさんと安藤さんが道端でエマージェンシーシートにくるまって寝ていた。デポバッグを受け取り会社の子に餞別にもらったカップヌードルを食べた。蓋には「塚田さん、ケガ気をつけて」と書いてあった。ごめんな、もうケガしちゃったよ。

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靴の砂を抜いているとスースーさんが目覚めて起き上がった。「さっきの激下りでやられました」と言っていたがその表情は元気そうだった。「ここからはロードの下りと登りなので、距離を稼げますよ」と言って元気に再スタートして行った。

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ほどなくエイドを出ると、確かにアスファルトの長い長い下りだった。足にダメージを与えないようにそこそこのスピードで下る。日が昇り気温がぐんぐんと上がるのも辛かったが、それよりも坂道を次々と登ってくるバイクの轟音の方が参った。とにかくバイクの量が尋常じゃない。生活手段としてのバイクと、観光地なので遊びの改造モトクロスバイクとの両方が途切れなく登ってくる。荒涼とした世界でバイクで生きる人々。まるでMADMAXの世界観そのものじゃないか。

 

ようやく下りきってロードの登り返しを、左右のポールを使いながらひたすら登っていく。右手遠くにスメル山の頂が見えた。途中で集落を通過すると、ネギ畑で背中に背負った水を撒く男性、急峻な斜面におりて農作業をする女性など過酷な山で暮らす村人の生活を感じる。そんな姿を見ながら登り続けていると、エイドが集落の中に見えてきた。

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63km地点W5c、9時30分到着。エイドは小さな小屋だった。2本目の緑色のリストバンドを手首にはめてもらう。

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小屋の中で白飯にスープをかけたものを頂いてすぐに出発した。そこからはまた延々とロードの登りが続き、うんざりしてきた頃にようやく土のトレイルに入った。しかしこれはまだ苦しみの始まりに過ぎなかった。

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それはバイクだ。そもそもトレイルにものすごいタイヤ溝があるので嫌な予感がしていたのだが、次々と後ろからモトクロスバイクが来る。その度にトレイル脇に避けて道を譲らなければならない。この峠道は町とカルデラのちょうど境界にあるので、バイカーの通り道になっていたのだ。バイクが走り過ぎた後はもくもくと砂埃がおさまるのを少し待たなければならなかった。バイクの来るたびに砂埃はトレイルが真っ白になり見えなくなった。バイクを避けながらしばらく登るとようやく目の前に巨大なカルデラとバトゥ山が見えた。雄大な姿を右手に見ながら、トラバースするトレイルを走って進んで行く。長いルートを進むとようやく遠くにエイドが見えて、安藤さんがいるのが見えた。

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午前10時半、73km地点のW8到着。簡易テントの前ではスースーさんが仰向けになって寝ていた。見るからにキツそうな状態だった。「完全にゾンビだよ。思い切って2時間ほど寝たほうがいいかもな」と安藤さん。「熱中症かもしれないですね」と僕。スースーさんはテントに移動してしばらく寝るようだったので、先にエイドを出た。あの強いスースーさんがここまで苦しむなんて。やはり恐るべしだなBTS

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「ブロモ山までは絶対に行きましょう」と言い残してエイドを出てしばらく下ると再びカルデラの底に出た。そこは荒涼とした砂漠だった。遠くに砂嵐が巻き上がっているのが見えて、まるで映画で見たことがあるような光景だった。

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走りやすい砂地を選んで走っていくと、逆走してくる日本人の100km選手とすれ違った。会話を交わすとホッとする。遠くにバトゥ山の姿を見ながら、砂嵐を避けながら進んで行った。f:id:ayumuut:20181113211346j:image

遠くにロードの登りの取り付きが見えた。カルデラ観光のランクルが登り降りするのに使っている道らしく沢山のランクルとバイクがいた。

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ロードの登りをゆっくり登る。途中で足の砂を抜いていると、またインドネシア人女性が元気に登って行った。彼女は本当に元気だ。眼下にバトゥ山を見ながら登っていくと、ようやくエイドに到着した。

 

79km地点W9に12時半到着。エイドでは先程の女性が靴から砂を出していた。「君は本当に強いね」というと「とんでもない」と怒り気味に答えた。そうだよな、誰も余裕で走っているわけなど無いよな。間も無く安藤さんが到着し、しばらくしてスースーさんもエイドへ来た。すごい、もう復活してペースを上げている。「先にゆっくり行っているので抜かしてくださいね」と声をかけてエイドを出た。

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実はここで一つのミスをおかしてしまった。水を補給し忘れたのだ。すぐ気づいて戻るか行くか迷ったが、ボトルに300ml以上は残っており、また次のエイドまでは下り基調なので、水を節約しながら進むことにした。トレイルは眼下に先ほど来たカルデラの底を見下ろしながら逆方向へ稜線を戻るようなコースだった。

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美しいブロモの山を見下ろしながら気持ちよく進む。適度にアップダウンのある稜線をしばらく進むと14時20分、87km地点のW10に着いた。

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ようやく水を得られた安心感でコーラと水を十分におかわりしてエイドを出た。ここでようやく半分だ。やっぱりマイルは長い。しばらくロードで集落を抜けて下りきった後に、また長いロードの登り返しが始まった。間も無く後ろからポールの音がして、振り返るとスースーさんと安藤さんペアが追いついてきた。「よかった、完全復活ですね」と喜ぶ。登りが早い2人は追い越してぐんぐん登って行った。

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しばらく行くと曲がるところを間違えて少しロストしたが、GPSですぐに気づいて戻り、農道へと入って行った。ここのから畑の横を行く登りは長かった。山の畑に日暮れが迫っている中でひたすら登っていく。途中で空腹感を感じてザックのクロワッサンを食べたら、口の中なのか手についた砂なのかジャリジャリと嫌な感触があり、吐き気を催して気分も下がった。とにかく今は目の前の坂を登るだけに集中しよう。

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終わりの見えない長い登り坂。途中で猟銃を持った若者が2人バイクで坂を登っていった。何気に向けられた銃口が不吉さを感じさせた。僕はまた登る事に集中する。延々続く登り坂、嫌になった頃に遠くにエイドが見えた。

 

99.6km地点W11到着。またスースーさんが土嚢を枕に寝ていた。何度もエイドで追いつくが、僕が到着すると必ずスースーさんは復活する。「この登りでやられました」「長かったよね」そう文句を言いながら、安藤さんがホットジンジャーを回してくれた。甘くて美味しかった。「さあ残るは最大の難所ロードの登りだよ」安藤さんはそう言ってスースーさんと先にエイドを出て行った。僕もヘッデンの準備をしてエイドを出たが体が冷えきってしまい、パワーグリッドをザックの上から羽織って登って行った。

 

ここからPANANJAKANのピークまでは単調なロードの登りだ。しばらく登ると路面が濡れているところがあり、インドネシアで初めての雨に遭遇した。スコールのように降るのであればレインウェアを切る必要があるが、それほど強くもない。どうしようかと迷っていたが、体を少し濡らす程度でそこまで本降りにはならなかった。ここブロモは山も大地も乾いている。年間通じてほとんど雨が降らないであろう事はその植生が証明していた。時々路面が濡れている箇所があり、そこを歩くと局所的にバラバラっと雨の筋を通り抜ける。そんな事を繰り返して、ようやく山頂の村PANANJAKANのゲートを通過して、山頂にあるエイドへ到着した。

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105km地点W12、午後7時到着。山頂のエイドでは先に到着したスースーさんと安藤さんが2時間ほどテントで仮眠をとると言って奥へ行った。僕はドロップバッグからカップヌードルのシーフード味を出して食べた。「塚田さん 乾燥ワカメ無くてごめんなさい」ワカメなんか無くても十分美味しかったよ。最後のジェルを補給してあまり長居をせずにエイドを出た。

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エイドから登って来たロードを戻っていくと、すぐに誘導員が右のトレイルへと指示してくれた。これが昨年安藤さんが大ロストしたという、トレイルの入り口か。今年は誘導員をつけてロストしないように大会側も配慮しているようだった。しばらく下り基調のトレイルを気持ち良く進む。このあたりはまだ、体力も足も問題無かった。そう、このあたりまでは。

 

下り続けるうちに、また靴下の中に砂が入って足を圧迫してきた。そのうちに足の裏に酷い痛みが起こるようになった。完全に豆が出来た痛みだった。砂というやつは本当に厄介だ。考えてみれば細かな鉱物の粒なのだから、摩擦係数だって高いはずだ。その証拠に靴下の脱ぎ履きが引っかかる感じで困難になっていた。この靴下の編み目を通り抜けて中まで侵入した細かな石の粒が、長時間にわたり足をこすり続けたのだ。そりゃ豆だって出来るだろう。右足の裏の中央に出来た大きな豆は、下りで大きなブレーキをかける事になった。ちゃんぷさんが信越マイルで豆のせいで下りに苦労をしていた事を思い出す。まだ100キロ過ぎだ。こんな足の状態で最後まで行けるのだろうか。またしても嫌な三文字が頭をよぎる。早く次のエイドに着いて、足から砂を取って処置をしてほしい。だが次のピークでスタッフにあと次のエイドまでどのくらいと聞くと、はるか彼方下方にある街の灯を指さされ、絶望を感じた。

 

そこからの激下りは痛みとの戦いで本当に辛かった。頭の中は痛みだけに支配され、焼畑農業なのか黒焦げになった灰だらけの不潔なトレイルをゆっくり一歩一歩下って行った。そのうちあまりにも下りで時間がかかったので、水が底をついてしまった。乾きと痛みに苦しみながら、急斜面をよろよろと下り続ける。足は痛くて踏ん張れない。でもとにかく降りるしかない。ようやく町に降りたと思ったらまたしばらく町の周りを走らされて、完全に最後の水が尽きてゾンビのようになってエイドに到着した。既に前のエイドを出てから4時間半が経過していた。

 

117km地点W13、午前0時到着。そのエイドは民家の中だった。三世代家族が談笑する民家のリビング。そこのソファに倒れこむように座って出された水を一気に飲んだ。家の中で悪いと思いつつも断りを入れて靴の砂だけ出させてもらった。娘と祖母が眠たそうな顔をして、こんな時間に訪れた異国からの珍客の事を笑っている。なんだかとても懐かしい感じがする家族。僕はその居間で疲れ果ててカップ麺をすすった。気分を少しでも前向きにしようと麺を喉に無理やり押し込んだ。

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外は寒かったが、パワーグリッドを羽織って家を出た。ここから先は最初のコースにつながるほぼ1000mアップの激登りが待っている。いくつかの集落を越えて行くが、夜の集落では野犬に吠えられる。野犬と言っても飼い犬なのかもしれないが、鎖に繋いで無いので僕にとっては野犬と一緒だ。道端に唸りながら出てくる事もあるし、一度土嚢にグローブを置いて休んでいたら遠くの家の方で吠えていた野犬が山を駆け下りてきた事があって、慌てて出発したらグローブを置き忘れてしまい、野犬が吠えているところまで取りに行った時は心底肝を冷やした。昼間ならまだ飼い主がなだめてくれるのではという希望もあるが、夜はどうしようもない。だから集落の中で道を探すときは極力静かに、野犬を怒らせないように進む。

 

集落を抜けてまた山に入った。山に入り長い尾根沿いのトレイルをひたすら登っていった。しばらく登り切ると1周目のトレイルへの合流点があるはずなのだが、ここで合流点が分からず結構なロストをする。地図を見て下っているはずなのだがカルデラへ下るトレイルが見つからない。ネギ畑の中をカルデラへ下りたくなったが、おかしな道を下ってしまうとと余計に時間がかかることになる。慎重に等高線を見ながら考えると、その先の地形が尾根になっている事がわかり、そこを越えるとようやく見覚えのある下りトレイルへの入り口に出た。そのままスイッチバックの下りをカルデラへ降りた。

 

夜のカルデラ砂漠を、はるか彼方に見える外輪山の取り付きへと走っていく。もう空が白み始めており、ここが登りで1番時間のかかるセクションではあるが、出来れば夜明けまでには上まで登り切ってしまいたかった。前には1つだけ先行するヘッデンがあり、後ろはヘッデンが無い。スースーさん達は大丈夫だろうか。取り付きまで走ってたどり着き、登っていく。息が上がる。急峻な登りは一度目よりも長く感じ、なかなか山頂の小屋が見えてこない。息を荒げながら登り続け、あたりがうっすら明るくなってきた頃にようやく稜線の山小屋に到着した。二度目の夜が、明けた。

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131km地点W1、5時20分到着。登り切った向こう側には朝日が見えていた。腰を下ろして荒ぶる息を整える。先行して登っていた中国人ランナーはテントでゆっくり休んでいた。豆が出来てしまった長い下りと先ほどの登りのパートでかなり貯金を食い潰してしまった事を悟った僕は、焦りに囚われていた。ゆっくり休んでいる暇はない。先を急ごう。

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すぐにエイドを出て、稜線のトレイルを走る。登りは早歩きで、フラットと下りはランで急ぐ。最初の時は真っ暗闇で見えなかった砂っぽいトレイルが、朝日を浴びて見えており、快適に走る事が出来た。途中で後ろから来た白人の華奢な女の子を先に行かせてあげた。彼女は前半はかなり後ろの方にいたのだが後半かなり順位を上げてきていた。強い子だ。

 

稜線はかなり長く、何度もGPSで位置を確認しながら進む。この先は比較的フラットな走れる区間なので、次のエイドには出来れば午前8時には着いておきたい。そうすれば残りの3区間を3時間ずつのタイム設定で心に余裕を持って進む事が出来る。そんな計算をしながらここの走れるトレイルは気を緩めずに急いだ。不思議な事に集中していると豆の事は気にならなかった。しばらく行くとロードに出る。一周目はこのロードを左に折れて町に降りたのだが、今回は直進するコースだ。スタッフがあと2kmと教えてくれた。トレイルあるあるで2km以上はあったのだが、アップダウンの舗装路を急いで走ると、ようやく遠くにエイドが見えてきた。

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141km地点W5a、7時42分到着。目標タイムの8時よりかなり早く到着出来たので安心した。一足先にエイドにいた白人の女の子が「私たちには十分な時間があるわよ」と言ってくれたが、「本当に?」と答える。エイドのスタッフも大丈夫、十分に時間はあると言ってくれて少し安心する。ここのスタッフは非常に親切で、足にブリスター(豆)が出来たと言ったら、足を水で洗浄してテープで擦れないように固定をしてくれた。ありがたかった。

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この後のエイドはあまり食べ物が無いので、チャーハンのようなものを腹に入れて8時過ぎに出発。砂埃のトレイルを少し下るとすぐに緑の大平原に出た。まるでヨーロッパのような(行ったことないが)緑の丘のトレイルだった。

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しばらく進むと緑の谷へと降りて行き、全く緑の無い荒涼とした砂漠へと放り出された。そこには大勢の観光客がいた。

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そこはブロモ山観光の入り口だった。大勢の観光客の中を通って砂漠を走っていく。だがこの一帯は観光地という事もあって沢山のランクルやバイクが砂埃を上げながら進んでおり、その中を走るのは過酷だった。最初は我慢していたがそのうちに砂埃に耐えきれずにバンダナをする。昼間の砂漠は気温がぐんぐんと上がっていく。バンダナは暑くて長時間出来るものではない。外す。またランクルが来る。バンダナをする。そんな事を繰り返しながらのろのろと進んでいった。
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ブロモ山取りつきまでの12kmは砂漠の中を縦断するフラットなルートで走らなければならない。しかし下は柔らかな砂地で、140km走ってきた僕の足の力を容赦なく吸収していく。なるべく固そうなところを選んで、足で蹴らないようにして体を運ぶような動きを意識して走ったが、前を行く中国人ランナーとの差が次第に開いていった。離されないように必死に追い上げる。淡々と走れば良いのだ。淡々と。

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そのうち風景はごつごつとした谷状のところに入っていった。アップダウンのある谷を進むとようやく左手に大きな山が見えてきた。あれがブロモ山だ。そのうち上の方にブロモ山中腹を行くとランナーの姿が見えてきた。GPS通りに進んでいると行き過ぎてしまいロストしかけたが、引き返してブロモ山への取りつきを登り始めた。足元は崩れやすい砂の山だったが、ゆっくりと登って行く。

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中腹まで登るとカメラマンが次のエイドまでブロモ山の中腹をトラバースするルートを教えてくれた。ブロモ山の斜面はざらざらとした砂の斜面でところどころ深い溝が掘れており足元はかなり悪かった。

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溝の無いところと安全そうな踏み後を選んで慎重に横移動をしていった。

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最後の大きな溝を底まで降りて登りかえし、ようやくブロモ山登山口にあるウォーターエイドに到着した。153km地点W6、BROMOに10時42分到着。ここまで3時間近くかかってしまったが、かなり体力を消耗したので腰を下ろして水分を補給する。このウォーターエイドはブロモ山登山口の階段の真下にあり、周りにも観光客向けの物売りが大勢いた。しばらく座って呼吸を整える。高台から見下ろすあたりの景色は雄大だったが、景観よりも自分の残された体力だけに関心が集中していた。

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少し休んだ後、空元気で写真を撮ってもらい、いよいよブロモ山火口への階段を登り始める。

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普段なら何という事は無い階段だが、この時ばかりは少し登ると息が上がってしまい途中の踊り場で休憩をしなければならなかった。

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休み休みで階段を登り、ようやく火口の淵へ出た。

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そこには地獄の窯のような火口が口を開けていた。あまりの景色にオーマイガッと思わず言葉がもれる。係員が170kmと100km選手は左へ行くように指示していた。その方向を見るとそこには火口の巨大な壁がそそり立っていた。よく見るとその火口の壁の上を、蟻ん子のような人影が進んでいるのが見えた。何という高度感だ。落ちたら死だ。ここから見る火口壁はまるで薄い板のようでもあり、その板のあまりにも薄い断面の上に、薄氷を踏むが如くか弱い人間がへばりついている。恐怖が喉元を締めつけるようだった。

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本当にこのルートを全選手が進んだのか信じられなかった。もしもここで恐怖のあまりドロップするという選択肢はあるのだろうか。正常な判断としては、ありだと思う。しかし二晩をかけて150km以上走ってきて、もはや僕には正常な判断が何なのかがよくわからなくなっていた。目の前に完走メダルをぶら下げられて、ここで引き返すという選択肢は無かった。f:id:ayumuut:20181113213401j:image

火口へと一歩を踏み出した。その途端ものすごい突風が吹いた。左から右、火口の外から内側方向だ。思わず腰を下ろした。帽子が飛ばされそうだ。帽子をとる。そして帽子のベルクロを一番きつい締めつけにして、かぶり直した。立ち上がる。一歩一歩前に進む。両手に二本のポールがある。細い棒をこれ程心強く思った事は無かった。横殴りの突風は何度も吹いた。前にあるコースフラッグが大きく右へとなびいている。落ちるなら火口の外に落ちよう。外側に体重をかけ気味にして一歩ずつ進む。火口の内側は直視が出来なかった。

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遠くから見ると薄氷のように見えた火口の淵は、歩いてみると少し幅広な足場だった。風がやんだ時には少し走ってみる。ゆっくり行くよりも早く進んだ方が慣性の法則で左右に振られにくいはず、そんな思惑があったのだ。こうして進んでいると向こう側から例の白人女性ランナーが戻ってきた。「火口を回らないの?」「コース変更になったようで、あの頂上にあるフラッグまで行って戻ってくることになったの」と言う。「本当に?(少し嬉しい)」。突風なのかコース崩落なのか、火口を一周しなくて良いというのは吉報だった。とにかくあそこの旗まで行けば良いのだ。大丈夫、何とかなる。

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ようやく火口の細い部分を渡り切り、写真を撮っていると後ろから聞き覚えのある声が、スースーさん達だった。良かった、間に合ったのだ。そしてまさかブロモの火口で会うなんて。

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火口の淵で再開を喜び合い、「女性ランナーがフラッグまでのピストンにコース変更になったと言っていましたよ」と言うと、安藤さんは「それ本当かなあ」と言っていた。復活した二人は早いペースでフラッグのある頂きへの斜面を登って行った。僕もゆっくり後を追う。f:id:ayumuut:20181113213658j:image

ようやくフラッグのあるピーク(火口の淵で一番高い部分)までたどり着くと、そのピークの向こう側にはまたしても荒涼とした稜線ルートが広がっており、無情にもそこには黄色いフラッグがこっちへ来いとルートを導いていた。

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稜線の先には既に下って先を行く二人の姿が見える。あの女性の言っていた事は誤情報だったのだ。やはり僕たちは火口を一周しなければならないようだった。

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ピークからの稜線は急降下して一度稜線の鞍部に降りて、また登りかえすルートだった。ここは先ほどの火口の淵よりもさらに脆く、狭い足場で、前を行く人の足跡を踏んでいてもみるみるそれが崩れてしまうようなナイフリッジの稜線だった。

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もうここまで来ると引き返す事も出来ず、恐怖というスイッチを切って、無心で左右の足を進めていった。恐怖を切るというよりも、もう怖いという感覚が麻痺し始めていたのかもしれない。歩く度に崩れていく稜線をのろのろと進んでいくと、ようやくバトゥ山方向へ右手に下っていくルートが見えてきた。f:id:ayumuut:20181113213834j:image

先ほどの白人女性が後ろから追いついてきた「Sorry, I made mistakes.」多分登り口まで戻って先へ進むよう言われたのだろう。あの火口の淵を1.5往復したのかと思うとその精神力に驚いた。先に行かせると下りもゆっくり丁寧に降りていった。彼女に続いて稜線を下っていくと、さらに急降下して谷底へと降りるルートが見えてきた。垂直に近い下降ルートだったが、砂が脆くて足の踏み場がずるずると崩れ落ちるような道を半分尻餅をつきながら砂煙をもくもくと舞い上げながら降りていった。赤茶けた岩の間を続くフラッグを追って谷底まで降りると、そこにはインディジョーンズのような峡谷が広がっていた。

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巨大な岩の狭間を進む。足元には時々大きな水たまりが道を塞いでいた。水にはまらないように避けながらアクロバティックなルートを進んだ。

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目の前に突然現れた竹梯子。下を見るとあまりの高さに目が眩む。一段一段の段差が大きな梯子、女性の足が届くのだろうかと心配しながら慎重に下る。

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谷には所々に1mほどの巨大な岩が道を塞いでいた。こんな岩が落ちてきたら一たまりもない。今だけは落石は勘弁してくれと願いながら進む。こうして竹梯子をくだり、水溜まりを避け、岩壁を下り、また梯子をくだり・・・そのうちにインディジョーンズ峡谷にもうんざりしてきた。早くこの圧迫感のある谷間から出たい。だが両側の岩壁はまだまだ続く。足場は悪く、少し開けたと思っても砂地で全く走れない。聖櫃など無いこの峡谷を僕はのろのろと探検する。砂漠のように乾燥した空気ですぐに喉がカラカラに乾く。砂漠の暑さと乾燥と、後は稜線を進んだ緊張のせいで普段よりも多くの水を消費してしまっていた。水切れの恐怖と戦いながらこの峡谷の事が心底嫌いになった頃、ようやく前方にテントが見えてきた。

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最終エイド、156km地点W7、12時50分到着。ここまでの区間は大変だったが、距離は3kmほどだったので何とか2時間で到着することができた。暑い砂漠のテントの中に座り込み、お湯のようなコーラと水を飲む。残りは約13kmだ。また砂漠を越えて最後の激坂が待っているので、脱水にならないように十分な水分補給をする。しばらく休んで日本から持ってきたぬれせんべいを食べて、意を決してエイドを出た。残り時間はあと4時間。十分な貯金を作る事が出来たはずだ。この時点でようやく完走を確信する。だがマイルの神はそう簡単にはゴールを準備してはくれなかった。

 

そこから先は、砂漠を縦断する長いルートだった。バトゥ山の麓をぐるりと回る長い砂のロードを走りと歩きを繰り返しながら進んでいく。ランクルとバイクの砂ぼこり、そして時折巻き上がる砂嵐は相変わらずだ。もはや少し走っては歩いて、また頑張って走る、を繰り返す。ゆっくりのジョグであればマフェトンで疲労も抜けるはず、そう言い聞かせながら何とかゆっくりでも走る事を心掛けた。砂漠の中に続くフラッグを辿ってしばらく行くと、そこからGPS上では折り返すポイントへ来た。折り返した後は砂漠を横断して外輪山の取りつきへと行くルートだ。そこにフラッグは無かったが、GPSを信じて右後方へと折り返した。これが大ロストのはじまりだった。

GPSを見ながら進行角度を決めて直進した。最初は砂漠だったのが、次第に膝丈くらいの草地に入っていった。まわりには何もない。しばらく直進していると、後ろからバイクが近づいてきて男が声をかけてきた。他のランナーはむこうに向かっているぞ、俺が運んでやるから後ろに乗れ、と言っている。レースしていてバイクに乗ると失格になるので断ると、いいから乗れ大丈夫だから、と何度も言ってきた。俺は乗らないと言って無視して走り出すとバイクは諦めて去って行った。そのまま走り続ける。なかなか外輪山が近づいてこない。足元の草は腰丈くらいになってきて、とてもじゃないが走れる状態では無くなってきた。マーキングを探すが見つからない。GPSと何度もにらめっこする。方向は合っている。だがここは完全にコースでは無い砂漠の中の藪だった。コースが変わってしまったのだろうか。理由はわからないがロストしてしまった事だけは確かだった。元のルートに戻るか?このまま進むか?判断を迫られる。進んだとしてもトレイルヘッドがあるとは限らない。GPSデータが間違っている可能性すらある。さすがに藪が深くて直進は不可能と判断して、草丈の低い方向へと移動した。しかし走れるようなルートはそこにも無かった。時間は午後2時半。時間は冷酷に過ぎていく。あれだけ余裕があった時間があと2時間半しかなくなっていた。完全に途方にくれる。周りを見渡すがどこにもマーキングは無い。さっきのバイクに乗らなかった事を後悔する自分がいた。160kmまで進んでリタイヤなんて、そんなことってあるだろうか?砂漠の藪の中に1人。絶望感。孤独。思わず神よ、と嘆いた。

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GPSが信頼出来なくなったのでGoogleMapでホテルの位置を確かめた。思っていた方向とは違い、低い外輪山の上にホテルがある事が確認できた。あそこがゴールだ。目視で確認したホテルの方角へひたすら走る。もうマフェトンなど言っている場合ではない。藪をかき分けてペースを上げ走った。タイムアウトになるかどうかはわからないが、今出来ることはホテルのある方向へ走るしかなかった。しばらく走っていると外輪山が近づいてきたが、肝心の登り口がその急峻な山肌には無かった。もう一度GPSを確認する。GPSのルートはかなり左方向から斜面を登るルートを示していた。そちらを目視で確認する。斜面にうっすらと山道らしきものが見える。あそこだ。正規のルートかどうかはわからないが、あの登れそうなところに行くしかない。

大きく左側に進路を変えて、山道らしきものが見えた方向へひたすら走った。持てる力を振り絞ってスピードを上げた。斜面が近づいてきた。人らしきものが見える。多分幻覚だ。誰かが待っていてほしいという思念が形になっただけだ。走る。斜面が近づいてきた。

やっぱり人なんていなかったが、そこには赤と白のマーキングテープがあった。生還。

 

トレイルヘッドに取りついた後は、とにかく死にもの狂いで登って行った。ようやく最後の登山道を見つけた、その嬉しさは大きかった。ゼーハーと声を上げながら登っていくと、上から二人組のランナーが降りてきてすれ違いざまに水をかけて冷やしてくれた。こうして何度かのスイッチバックを繰り返して、ようやくスタッフがいる稜線に出た。「コースマーキングはあったか?」と聞かれたので「無かったのでロストしたよ!」と答えた。他にも迷ったランナーが多かったらしかった。

そこからは高台の町を越えて、畑の中をもうひと登りするルートだった。疲れた体にはこの登りも大変だったが、何とか登り切って、また畑の中の急な下りを降りていった。左足首に痛みが出てしまいほとんど走れなかったが、小走りに下っていった。下り切るとアスファルトの舗装路に出て、ちょっとした登り返しがあり、最後の集落を通過した。女性スタッフが残り3kmと教えてくれた。

カーブを曲がるとそこには、長い長い登り坂が見えていた。もはや走れる体力は無かったが、ポールを交互につきながら必死に登っていく。時間は午後4時だった。最終エイドから4時間の貯金を作ってあったのが、残りわずか1時間になっていた。すぐに息が上がってしまう。手元の心拍計を見ると140台だった。そこまで心拍は上がっていないのに身体が悲鳴を上げている。だがここで出し切らないと最終関門が危ない。ここまで来てDNFなんてごめんだ。両手両足をフル回転させて登る。

登り坂が高台になっていてそこまで登るとまたその先の坂が見えた。何度か偽ピークを繰り返して終わりの見えない坂を必死に登ると、ようやく右手の高台にホテル群が見えていた。あの中にゴールのLAVAホテルがあるはずだ。ゴール前に虎山さんにメールを送ると言っていたが、もはやそんな余裕すら無かった。急げ。全て出し切れ。完走を勝ち取れ。

ようやく長い坂が終わり、集落の中を右側に移動していく。村人にホテルへの道を聞いて、ホテルへ続く最後の登り坂を一歩一歩登り切った。登り坂の途中で後半一緒だった中国人ランナーが足を洗っており、無念そうな顔をしていた。

最後の坂を登り切ると、そこからはホテルの敷地へと続く長いストレートだ。もう走れる力は残っておらず、歩いてゴールへと向かう。前方から帰路につくランナーたちが歩いてくる。おめでとう、と拍手喝采をしてくれた。思わず目頭が熱くなる。ありがとう、ありがとう、と答えながらゴールへ続く坂道を下って行った。

最後の登り坂でついに腰がおかしくなっていた。マイル腰だ。でもUTMFの時ほどではない。まだ動ける。少しなら走れる。マイル腰は全て出し切った自分への勲章だったんだな。

 

遠くにゲートが見えてきた。スタッフ達がゲートの向こうに集まってくる。両側の人たちがおめでとうと歓声を送ってくれる。嬉しい。

音楽のボリュームが上がった。大歓声の中、両手を上げてゴールゲートを通過した。

 

45時間21分の戦いが終わった。

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<ゴール後>

感動のゴールをしたと思ったら、眉毛がつながっていた。フューリーロード恐るべし。

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ゴールゲートでスタッフがインタビューしてくれた。素晴らしいコースを作ってくれたオーガナイザーとボラのスタッフへの感謝を言ったつもりだが、伝わっただろうか。

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自分が最終ランナーかと思っていたら、白人女性ランナーが最後にゴールしていた。どこで抜かしたんだろう。きっと最後のカルデラ砂漠で同じようにロストしたのではないだろうか。

 

今年の完走者は全部で15人。僕は13位だった。毎年完走率が上がっている。インドネシアのレベルも年々上がっているのだろう。

 

ゴール後の泥を落とそうとシャワーを浴びたら、身体が冷えてしまい震えが止まらなくなって、全裸で毛布にくるまって寝た。虎山さんが熱い紅茶を入れてくれて少し回復した。

 

結局その夜は打ち上げも出来ず、ビールも飲めず、8時間くらい寝て、良く朝起きたらようやく復活していた。翌朝のバンガローからのブロモ山は忘れられない美しさだった。

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翌日の朝食で念願のビールを飲んだ。

ブロモは観光地でビールがあったが、スラバヤではビールを手に入れるのが大変。コンビニにも売っていない。

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終わってみれば一番過酷で、でもこれまでで一番美しいコースだった。

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