100マイルの終わらない物語

100マイルの山岳レースに挑戦した記録です。長いです。だって100マイルだもの。

T.D.T100マイル完走記(ペーサーとして)

T.D.T100 2019/05/25-26

 

灼熱の多摩川を走って、彼はやってきた。

 

東京でも真夏日を記録したこんな日に、日陰の全くない多摩川沿いを60kmも走ってくるなんて全くどうかしている。

しかもこれはレースでなくただのグループランで、当然ポイントなんかつかないし、泣き言を言った選手はその場で容赦なくカットオフされる。全く皆どうかしている。

 

T.D.T100

ツール・ド・トモ。

100マイラーでその名を知らないものはいないだろう、憧れの大会だ。

多摩川の河口にある大鳥居からスタートして、多摩川沿いをひたすら登り、青梅から山に入って高水山まで登り、また降りてきて河口を目指すのがそのコースだ。

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今回ペーサーを頼まれたのは岩本町TRCの同じチームメイト、下川さん。

もうすぐ還暦を迎える、自分と一回り年が違う大先輩だ。

こんなどうかしていることに挑戦しようとしている彼を、絶対にゴールまで連れて行きたいと思った。

 

青梅鉄道公園 69km地点。

午後20時すぎにシモさんはやってきた。朝から真夏日だったので心配していたが、意外にも元気そうにシモさん到着。ペーサーを引き受けてくれて嬉しかったよと言われたけど、こっちの方が嬉しかったですよ。ドロップバッグから補給をして、めぐちゃんと3人でペーサーを開始した。

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ここから先は青梅高水山へと登る林道になる。疲れているだろうから、シモさんペースに合わせてゆっくり進む。

少し進むと榎峠のエイドに到着、松井さんが元気に迎えてくれた。

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ここから先は急なトレイルになるため、シモさんを先頭にペースコントロールを任せた。トレイルと林道を登り切ると、ほどなく100マイルの折り返し地点の高水山常福院に到着した。

 

ここでシモさんに少し疲れが見え始めた。眠いようでベンチで少し休んでいる。後から駿谷さんとうねちゃんが元気そうに到着。小休止の後、彼らを追うように折り返して高水山を下り始めた。

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そこから榎峠エイドまでは足元に注意をしながらスムーズに下っていったが、疲れてきたシモさんには少しペースが早かったかもしれない。榎峠を越えると、シモさんは山の中で蛇行を始めた。気分が悪いようで酔い止めを飲んだりしたのだが、これが眠気を誘ったのか、さらにペースが遅くなっていく。途中で宮崎喜美乃選手がシモさんを励ましてくれて少し元気になる場面もあったが、再び眠気に襲われてよろよろと進んでいった。

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登りでは恒例のロッキーをかけて励ましながら引っ張ったが、シモさんは辛そうだった。ベンチで小休止したり、メガシャキを飲んだり、眠気をごまかしながらどうにか鉄道公園まで戻ってきた。深夜1時50分。高水山を5時間で帰ってくるはずが、5時間半かかってしまった。

 

シモさんは鉄道公園で休みたそうにしていたが、少し先のコンビニでカフェインをとった方が良いと判断し、がんばって走ってもらう。ファミマでアイスコーヒーを飲んでもらったが、胃腸が疲れていてあまり飲めなかったようだ。自分は蕎麦を急いで補給し次に備える。午前2時過ぎにスタートした。しかしこの時点で自分の頭の中では、完走に対して暗雲が立ち込め始めていた。

 

ここから先は全てロードだ。夜の町の歩道を走っていく。頭の中で計算をする。ゴールまであと大体60kmだとして、キロ8分ペースだと10キロで80分なので、60キロだと480分でちょうど8時間となる。キロ9分だと540分で9時間だ。ゴールの制限時間まであと大体8時間30分くらいなので、キロ9分では間に合わない。逆にキロ7~8分で少しでも貯金が作れたならば、ゴール出来る確率はぐっと上がる。

 

「シモさん、キロ8分以内で走ればゴールできます。苦しいとは思いますけど引っ張りますので、がんばってついて来てください。」

 

シモさんは相変わらず眠気で辛そうだったが、キロ7分半くらいのペースで先へと引っ張った。少し遅れ気味になると、悪いなと思ったが、後ろを向いて「がんばれ、粘って」と声をかけた。歩き始めると「歩いていると間に合いませんよ」と励ました。きっと眠気で苦しいのにふざけんな、と思ったことだろう。でもここまでがんばってきたシモさんをゴールさせられない方が、自分にとっては許されない事のように思えた。

 

どんな状況であってもペーサーがやるべき事はただ一つ。選手をゴールへ連れていくことだ。

 

しばらく走って多摩川沿いに出た。夜の川沿いを走る。缶コーヒーを飲んでもらったが完全に眠気は抜けず、あまりにも眠そうで走れなくなったので、めぐちゃんが少し寝たらどうかという提案をしてくれた。ベンチを見つけてシモさん横になると、寝息を立て始めた。5分だけという事だったが、さすがに短いよねということで10分だけ寝てもらって起こした。するとシモさんはずいぶん回復したようで、元気に走り始めた。自分はただ引っ張るしか能が無かったので、女性ならではの優しい気遣いは勉強になった。

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東の空が次第に明るくなり始める。空は次第に赤味を増していき、日が登った。相変わらず眠気が完全に抜けないシモさん。太陽が上がると眠気が覚めますよ、と言って励ましていたが、その後もなかなか眠気が抜けないようだった。キロ7分台で引っ張りながら、8分を超えると声をかけて「ペースキープ」と励ました。本当にうるさかっただろうと思う。

 

128km地点、ドミンゴエイド到着。ドミさんのスープが胃袋に沁みた。シモさんのドロップバッグからサングラスを渡して、早々にエイドを出た。

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日差しが強くなり気温がぐんぐんと上がっていく。シモさんは相変わらず眠そうで、表情は無い。話しかけても答えられない感じだった。シモさんの年齢を考えて強引に引き続ける事のリスクも考えた。倒れたりしたらどうしよう。でもハンガーノックでは無いようだ。痛みや怪我の兆しも無さそうである。ずっと眠気に苦しんでいるのだ。眠気であればやはり諦めるわけにはいかない。

エネルギー切れにならないよう途中で時計を見ながらジェルを補給してもらいながらキロ7分台で引っ張り続けた。

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変化の無い川沿いのロード。川沿いに並ぶ会社を見るくらいしかする事が無い。クロネコヤマト、読売新聞、キューピーマヨネーズ・・・


それにしても暑さが酷い。自販機に何度も立ち寄る。シモさんは炭酸飲料を飲んで休む。僕はシモさんの頭から水をかける。

 

橋の下にあるなにわエイドに到着。

あまり時間に余裕が無かったが、立ち寄って休んだ。氷入りのグリーンティが美味しかった。

エイドの人にあと何キロですか、と聞くと、あと約24kmですと言われて喜ぶ。残り30 km弱はあると思っていたので、タイムの余裕が出来た。

シモさん椅子に座って頭を氷で冷やす。

すいませんが、そうは言ってもそこまで余裕が無いので、あと3分で出発します、と僕。

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シモさん、絶対に完走できますよ、と喜びながら余裕が出来たのでゆるゆると走っていく。

ようやく遠くに二子玉川のビル群が見えてきた。

するとその手前に小さなエイドが。

立ち寄って水分補給をしていると、「あと26km」と言われる。距離伸びてるやん!

そんなにあるんですかと言うと、ここから二子玉までが6kmで、そこからゴールが20kmだからと。

はいそうですか。計算狂った!

 

時刻は8時前。二子玉には8時過ぎに着けると思ったが6kmも距離があるとはキロ6分で走っても30分以上かかる。


計算が狂った。焦る。

そこから二子玉までの6kmは、3人とも必死に走った。シモさんも焦ったのか、急に力強く走り始めた。

時計を見るとキロ6分を切っていた。息を荒げながら二子玉へ続く土手を駆け抜けていく。

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136km地点の二子玉セブンイレブンには8時30分頃到着した。残り時間は2時間半(150分)。残り20kmをキロ7分で走って残り140分なので、10分を残してぎりぎりゴールできる計算だ。

正直コンビニに寄るのもパスしたいくらいだったが、シモさんが寄りたいというので立ち寄った。すいませんが3分でお願いします、と僕。

 

涼しいコンビニの中でシモさんカルピス、僕コーラを飲みながら言う。

シモさん、ここまでキロ6分で走ってきましたが、ここからキロ7分に落として引っ張ります。キロ7で行けばゴールに間に合いますので、それ以上は遅れないように着いて来てください。

 

コンビニを出て再び多摩川に出てすぐに、0キロカロリーエイドが出現。またエイドかよっ!

1,2分でお願いします、と半泣きの気分で立ち寄ると、ここからゴールまで16kmなので絶対に間に合うよ、と言われる。距離ころころ変わりすぎ!

 

もう何を信じて良いのかわからなかったが、実は20kmあって最後は間に合いませんでしたという展開だけは避けたかったので、そこから先はキロ7分で走った。

 

後ろを見ると、シモさん立ち止まって朦朧としている。これ飲んだら行こう、と手に何ももっていない右手を突き出してしゃべっている。エアジュース!やばい!

 

ガス橋エイドに到着。もはや恒例の「あと何キロですか?」「あと9キロです」「やっぱりそんなにあるんかい!」

 

多摩川沿いは子供たちが野球をしたり、大人たちがゴミ拾いをしたり。平和な日曜の朝だった。

そんな中をゾンビのようになった3人の大人が、暑い、暑いといいながら走っていく。地獄だ。

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あと大きな橋を一本くぐれば、その先にはサロ門があるはず。

なかなか橋が近づいてこない。シモさんここへ来てなぜかペースが上がってくる。

 

最後の土手を走る。やっとのことで橋が見えて、近づいてきた。10時30分に橋を通過。ゴール関門まであと30分。ここで初めてシモさんの完走を確信する。


少し緩めてもいいかと思ったが、シモさんはここへ来て絶好調に飛ばしていくので、逆に必死に着いていくという展開になる。やっぱり還暦やばい!

 

羽田空港の飛行機の尾翼が並んでいるのが見えてきた。

なかなか赤い門が見えないと思ったら、曲がった瞬間にサロ門ドーン!門の前で皆が待っているのが見えた!

シモさんやりましたよ!!めぐちゃんと大喜びしながら走っていく。

 

最後の橋を渡ってサロ門のゲート通る。10時40分。

23時間40分。制限時間の20分前に鳥居通過。

今回はマジで涙が出た。

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シモさん、鬼引きしてごめんなさい。でも絶対に最後までゴール出来ると信じていました。

あなたは最後まで男でした。こんなかっこいい60歳いないよ。

僕をペーサーに選んでくれて本当にありがとう。

 

Age is just a number.

あなたの座右の銘を心に刻もう。

 

<レース後>

・サロ門の周りでビールを飲んだ。クソ暑かったけど、最高な時間だった。

 

・ゴール後シモさんが行方不明に。探し回ると木の下ですやすや寝ていた。氷水で頭を冷やしてあげた。シモさんの寝息は優しい。

 

・めぐちゃんに鬼引き半端なかったね、仕事でもこうなんですかと言われた。いやいや、こんなの職場でやってたら即効パワハラでクビになるでしょ。

 

・シモさんのことが心配だったので、蒲田駅まで行って一緒に電車に乗った。乗り過ごさないか心配だったけど無事に帰れたみたいで安心した。

 

・TDTは一定のペースで走り続けないとゴールは難しい。飛ばさなくても良いけど、何かトラブルがあると一気に追い込まれる絶妙なタイム設定だ。

 

 ・やっぱりペーサーは面白い。マイルの醍醐味はペーサーにあるのではないだろうか。

 

多摩川は巨大な竜だ。関東平野をぶち抜く桁外れのスケール感を自分の足で走ってみて感じた。川沿いには自然豊かな大渓谷があり、人々の生活があり、竜は様々な顔を見せる。この旅を通して自分にとっての多摩川は、全く別のものへと変化した。

UTMF2019 100マイル完走記(127km地点にて雪のため中止)

ここまで過酷な展開になると、一体誰が想像をしただろうか。

そんな2019年のウルトラトレイルマウントフジだった。

 

朝。こどもの国に向かうにつれて雨足が強くなっていく。前日のブリーフィングでは快晴という話だったのに。スタート地点へ到着したときには既に本降りになっていた。

大雨の中レギュレーションチェックの列に並ぶ。 ずぶ濡れでうずくまって荷物の準備をする選手たち。思い返せばスタート前から既に昨年とは違う兆しはあったのだ。

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午後12時、歓声の中をスタート。 ゆっくりと人の流れ乗って進んでいく。 前半は林道のパートを頑張りすぎずに進んで行くが、ゆっくり入ったせいかトレイルに入るところで渋滞。 そしてこの渋滞に前半はかなりの時間を割かれることになる。 送電線の下を続くトレイルには時折アップダウンがあるが、その度にしばらく渋滞は発生し、キャプリーンを脱いだり着たりで体温調整をしなければならなかっ た。

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渋滞で何度も足止めをされながら富士宮エイドについた頃には、既に目標タイムに対して2時間以上も遅れていた。エイドでチームメンバーや知っている顔に出会えて安心をする。ここから天子に入るため、水を1.5Lほど補給してすぐにトレイルヘッドへと向かっていった。

 

天子への登りは多少渋滞はしていたが、 おかげで心拍を上げすぎることなくマフェトンペースで登ることが出来た。 昨年は15時スタートなので天子に入る頃は既に暗かったが、今年はまだ明るい夕刻なので、先に登っていく選手も良く見える。 淡々と、ただ淡々と足を運んで天子ケ岳への斜面を登っていった。

思いのほか早く天子ケ岳に到着。 そこからはアップダウンのある稜線を進んでいく。 次第に森が闇に包まれていった。 長者ケ岳のあたりでチームのメンバーと一緒になる。「渋滞のおかげで体力が残っているから、 麓エイドについたら焼きそばを美味しく食べられそうだね」などと会話をしながら進んでいった。

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熊森山へ向かう稜線を進むと本格的に暗くなり、雨も強くなってきた。レインウェアを着て、ヘッデンをつけたものの霧でホワイトアウトして足元が全く見えない。一緒に進んでいたコーイチ君が「ヘッデンの有色フィルターを忘れたのでウエストライトを使う」と言っているのを聞いて、 初めて濃霧でのフィルターの重要性に気づく。そういえばBTSで もヘッデンが砂埃でホワイトアウトしたんだったなあ。次からはフィルター持って来なきゃ。

 

熊森山からの下りで、天子の山は悪魔へと豹変した。 下り斜面は、雨でまるで泥の滑り台のようだった。当然大渋滞が起こる。渋滞の中 ホワイトアウトして凹凸の見えない斜面を下るのは非常にストレス だった。木を掴みながら慎重に下っていったのだが、 前で女性が何度も尻餅をついていた。

 

自分も慎重に進んでいたはずが、やはり大きく尻餅をついてしまった。グローブについた泥を木の幹で泥をふいてみたが取れたものではない。 両手が泥まみれになって、嫌な臭いがした。どこか水場で洗いたいなと思いながら斜面をずるずると降りていくと、ようやく遠くにコース案内スタッフが見えてきた。 やっとロードへの出口にたどり着いた。

 

長いロードを下ってようやく51km地点の麓エイドに到着。 もう既に目標にしていた昨年のタイム(39時間) 以上を狙うことは難しくなっていた。グローブの泥を入念に洗い落として、 ひとまず焼きそばで腹を満たした。 体力的には十分に余裕はあったが、泥まみれになってしまい気持ちは萎えていた。いるかもしれないサポートのメンバーを探す気力さえ無くなっていた。ここまで泥がひどいならドロップバッグに変えのシューズを準備してくるべきだったと 後悔していた。しかしこんなところで落ち込んでいる場合ではない。まだレースは始まったばかりだ。手短に補給を追えてエイドを出た。

 

しかし次の竜ヶ岳の下りはさらに大変だった。泥の斜面は全くグリップが効かず、まるでスキーのように滑り降りる他に下る方法が無い箇所も沢山あった。一度転んで気が緩んでしまったのか、何度も尻餅をついて坂を転がり落ちた。背中にまで泥が入ってきた。渋滞も酷かったが、 渋滞をパスして先へ行こうという気力さえ無くなってしまった。 ずるずる、のろのろ、と渋滞の行進の中トレイルの下りを落ちていく。

 

本栖湖沿いの固いロードに出たときは心底ほっとした。 しばらくロートを走ってようやく66km地点本栖湖エイド到着。

 

本栖湖ではランボーズの虎山さんと長田さんがいた。 ここまでの過酷な下りについて語り合う。寒いエイドの中ではストーブで暖を取っている人もいたりして、まるで野戦病院のようだった。きつかったですね、チームでは僕らがしんがりですかね、などと話をしながら補給をして、 身体が冷え切らないうちに早めにエイドを出た。

 

相変わらず雨は降り続いていたが、本栖湖沿いの山々は泥から小石の多い乾いたサーフェスへと変わり、走りやすかった。 本栖湖の南と北でここまで土質が変わるのかと驚く。昨年には明け方に富士の絶景が見えたパノラマ台は、闇と濃霧の中だった。 そこからトレイルをゆっくり駆け降りて、富士の樹海を走っていると徐々に空が白んできた。ヘッデンをしまう。さあ、朝がきた。

 

精進湖エイド(78km地点)には明け方すぎに到着だった。 北斗くん、下さん、ランボーズのボランティアのみんなが出迎えてくれた。 ドロップバッグの受け取って、カップヌードルにお湯を入れ、底冷えする冷気の中少しでも暖かい体育館の中へ入る。 体育館の床は倒れたように眠る人がいて、ここまでのレースの壮絶さをあらわしているかのようだった。あまりにも泥まみれの状態でシューズを変えたかったが、持ってきていないので仕方がない。 ウェアを変えることさえも面倒だった。 カップヌードルの大を買ってきたのだが疲労で全部は食べられなか った。それでも無理矢理胃袋に押し込んでエイドを出た 。

 

精進湖からはちょっとした樹海のトレイルを通って、長いロードの登りに出る。冷え切った身体を温めるためにジョグで進む。先にエイドを出た虎山さんに途中で追いついてしばらく並走した。長いロードも話をしていると気が紛れる。そのまま長いロードを登りきると再びトレイルに入り、紅陽台へと登っていった。ここでこれまでに経験した事の無い眠気に襲われた。二晩を走るレースでもそこまでの眠気は経験が無かった。レース前夜もたっぷり寝たはずだ。だが眠気は容赦なく襲ってくる。フラフラと蛇行をしながら登っていく。眠気と闘いながらなんとかトレイルを登り 切り、ようやく河口湖畔に降りる。そこからしばらくロードを走って勝山エイドに着いた。

 

勝山エイド(95km) ではサポートメンバーと時間が合わなかったが、幸い雑炊に炊き込みご飯を入れたものが振る舞われたのでしっかり補給を取ることができた。救急ステーションで足の裏を見てもらう。靴の中が濡れた状態で長時間走っていたせいか、右足の裏に豆らしきものが出来てしまったのだ。水を抜いてもらおうかと見てもらったが、そこまで大きな豆は出来ておらず、ワセリンをベッタリと足裏に塗って先へ進む事にした。

 

勝山から次の忍野までは長いロードの区間。ここは昨年ほど気温が上がらないこともあって走りやすかった。精進湖までの泥の嫌な記憶が薄れてきたのか、身体も元気に動くようになって快調に進むことが出来た。途中のコンビニでプロテインとおにぎりを買ってまた先へと進む。忍野の手前の小山では、昨年ほど足が疲れておらず軽快に登れる気がした。やはり前半の渋滞のせいか、体力は昨年よりもかなり残っている。

田園地帯を進んでいると途中から激しい雨が降り始めたのでレインウェアを着た。道路が水たまりのようになり、靴の中に冷たい水が入ってくる。その雨の中を忍野の山へと登っていく。下りでぬかるみがありまたあの泥地獄の再来かと心配をしたが、忍野の山では同じ泥でもグリップの効きやすい泥だったので下りも安心して走ることができた。長い忍野の山を越えて、降りしきる雨の中を114km地点の忍野エイドに到着した。

 

忍野エイドでは、前半では2時間以上あった昨年タイムからの遅れが1時間以内に短縮されていた。ここで装備チェックを受けて、 雨を避けるためテントに入ってストーブで暖をとる。 昼間なのに強い雨のせいもあって気温はどんどん下がっているようだった。

雨は土砂降りになってきて、強く地面を叩いた。 雨雲レーダーで見ると、ちょうど濃い雨雲が上空にあり、しかもそれはまだまだこの先も留まる事を示していた。雨が当分弱まりそうにない事を知って、観念してレインウェアの下を履き( 余程の寒さでも僕は基本短パンだ)、 上も持てる防寒を全て着て、テントを出た。

 

忍野エイドからは降りしきる雨の中、 田んぼのあぜ道を進んでいった。強い雨はみるみる体温を奪っていく。あっという間にレインウェアは雨が沁みて、身体も濡れてしまった。とにかく体温を維持するために、マフェトンペースで心拍130台で進んでいく。すると指先にじわっと暖かさが戻ってくるのであった。自分の血が身体の末端の毛細血管にまで届いていることが、 まるで目に見えるようだった。

しばらく進むと太平山へと登る広いトレイルだった。普通ならゆっくり登るはずが、体温を上げるためにプッシュして身体を温めながら登っていく。そうしてトレイルを登っていくと、雨粒が次第に大きくなり、 白い玉状に変わっていった。白いみぞれはすぐに雪へと変わり、トレイルの両脇に薄らと雪が積もっていくのだった。

程無くトレイル全部が白い雪に覆われた。柔らかな白い雪が世界を覆い尽くした。

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太平山の頂上に着くとそこは雪景色だった。 稜線を石割山の方へと登っていき、雪の積もった木段を上ると、ようやく山中湖への下りになった。 下りのトレイルは泥と雪の混じってぐちゃぐちゃだった。 冷たい泥と雪混じりの水が着地の度に足に沁みこんでくる。もうここまで来ると、シューズを変えても結局一緒だったよな、などと思いながら、下りのトレイルを走っていった。

昨年はここの下りで左足の脛に痛みが出たが、 今年はまだ痛みは出ていなかった。まだ行けるはずだ。 だがこの先の杓子山はこんな雪の状態で夜を通過出来るのだろうか 。身体が動くうちは大丈夫だろうが、万一途中で身体が止まってしまったら命に係わるリスクがある。どうするか。行くか。止めるか。次のエイドは127km地点。ゴールは射程圏内だ。ここで自らレースを降りるという選択肢はやはりないだろう。 いっそのこと中止の判断をしてくれればという気持ちもどこかには あったが、やはり進むつもりで山中湖エイドに到着した時に、レースの中止を告げられた。

127km地点、きらら山中湖エイドにてUTMF終了。

 

レース後

・きららにはランボーズの仲間たちが大勢いた。 豚汁を入れてくれて嬉しかった。

 

・ 忍野で終了した優子さんのサポートメンバーがきららに車で迎えに 来てくれた。あれがなければその日のうちに帰れなかったかもしれない。本当に助かった。

 

・チームメンバーの中には10位入賞した木幡さんや、二十曲峠まで行ったメンバーもいて、本当にすごいとおもった。

 

・いろいろあったが自然と向き合うスポーツだから仕方がない。2019年に続いて二回目の悪天候の短縮を経験したUTMF。やはり100マイルを完走するという事は、天候の運も含めて簡単な事ではない。

 

・今回の天候急変による運営の判断は素晴らしかった。過酷だった前半のコースマーキングには不満の声もあったようだが、100マイルを完走したければあの状況でルートを見失わずに下山するだけの最低限のスキルと走力は必要なように思う。100マイラーは他責のメンタリティではいけない。

 

インドネシア BTS Ultra 100マイル完走記

BTS Ultra 170km(2018/11/2~11/4)

場所:インドネシア ジャワ島 Bromo Tengger Semeru 国立公園

 

BTS Ultraというインドネシアのジャワ島東端にある火山地帯で行われるレースに参加してきました。BTSとはブロモ山、テンガ山、スメル山(インドネシア最高峰)の国立公園の頭文字のこと。その雄大な景観に惹かれてエントリーをしたのですが、あまりの完走率の低さ(2016年5人、2017年10人)に相当タフなレースであろう事は想像がついた。ただ、いったい何が原因でここまで低い完走率なのだろう。170km、累積8500mで46時間制限と言えばほぼUTMF並みのコースプロファイルだ。それなのにこの完走者は、あまりにも少なすぎる。

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生半可に手を出すと火傷しそうなレースなのに、HPにあった動画を見た瞬間に出場を決めていた。このコースはヤバすぎる。身体が動くうちに挑戦したいと思った。

 

水曜日は夕方まで仕事をして夜の羽田空港へ。ゲート前で偶然同じ飛行機だったスースーさんと出会い、早速ビールで乾杯した。

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そのまま深夜便のLCCでろくに眠れないままクアラルンプール経由で朝にインドネシアのスラバヤ空港到着。虎さんが迎えに来てくれていた。2人で昼飯を食べて会場行きのシャトルバスを待つが、定刻になってもバスが来ないのでタクシー運転手の勧誘がしつこかった。他のアジアの国から来た参加者と一緒に待っているとようやく1時間遅れでバスが来た。久しぶりのアジアの洗礼だった。

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窓から見える風景が都市から農村へと移り変わり、凧が舞う空を見上げながらバスは東へと向かう。途中一度食堂に寄ったが、川魚の干物がパックされていたのには驚いた。スプライトとナッツを黒糖で固めたような菓子を買って、またバスに揺られて行った。

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4時間ほど経ってあたりが真っ暗になった頃、ようやくバスはブロモ山に到着。そこから宿まで別の車で運んでもらい、LAVAホテルに到着。町には砂漠観光のランクルが溢れていた。なんとスタート地点はホテルの入り口にありバンガローの目の前だった。

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早速チェックインしてビンタンビールで乾杯をした。遠かったのでここまで来ただけでなんだか達成感がある。

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その日は20時頃には就寝して、翌朝7時頃までぐっすり寝た。そしてバンガローから出ると、すぐ目の前にはあのブロモ山の勇姿が広がっていた。カルデラの中にブロモ山とバトゥ山、遠くにはスメル山とそれを取り巻く外輪山が一望出来るという物凄い光景だった。しかもその景色はスタートゲートの真横ときてる。これでテンションが上がらないわけがない。

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朝食のビュッフェを食べて、ギアチェックとエントリー手続きを済ませる。日本のレースと比べるとかなり緩いチェックだった。ゼッケン(06番と初の一桁。エントリーが早かっただけだが)と参加賞のTシャツとダッフルバッグをもらい、出店ブースを見ると日本のそれと変わらない品揃えだった。GPS時計も売られておりこのレースに参加する人はインドネシアではかなりの富裕層であることがわかる。

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部屋に戻ってドロップバッグに入れるジェルを作った。今回は粉飴を500mlのペットボトルに入れて持ってきて、現地でジュースで割るという方法を取ったが持ち運びも軽量で良かった。これであれば空港の液体持ち込みにも引っかからない。ただ大量の白い粉を持ち運ぶので荷物チェックで怪訝な顔はされるけど。

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準備を一通り終えてまた仮眠をとる。今回はLCCで眠れなかったが、スタートゲートの真横の宿で直前までしっかり寝溜め出来たのは良かったように思う。しかも天気は快晴。事前の天気予報では雷で大荒れ予報になっていたので、予報が外れてホッとしていた。昼過ぎにレストランをのぞくとスースーさんと安藤さんに出会い、昨年の完走者の安藤さんから100km地点のエイド後ではトレイル入り口がわかりにくいのでロストに気をつけること、関門設定はそこまで厳しくないこと、エイドではスープが出ることなどなどの情報を教えてもらった。異国のレースで全く勝手がわからなかったので少し安心した。

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夕方のブリーフィングも何故か行われず、ゲート周りは人も閑散として本当にレースがあるのかと不安になったが、もう一度仮眠をとって19時のスタートに備える。スタート直前に夕飯を食べて、部屋で最後の着替えをする。外が騒がしくなってきていよいよスタートが近づいてきた。突然自分の名前がアナウンスで呼ばれていると虎山さんが教えてくれた。焦ってゲートに行くと、1人ずつアナウンスで名前を呼んで迎えてくれていた。マイルの参加者は40人ほどなので、1人1人を読み上げて盛り上げてくれていた。既にスタートゲートにはスースーさんと安藤さんが最前列にいた。せっかくなので横に並んでみた。こんなのは初めての体験だ。アナウンスが突然コースマーキングの説明をはじめた。これがブリーフィングか。その後インドネシア国家斉唱。インドネシアと連呼するところだけ一緒に歌った。上空にはドローンが飛んでいる。そしてカウントダウン。いよいよ170kmの長旅の始まりだ。

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午後7時、スタートと同時に勢いよく飛ばしていったがいきなりの登り坂なのですぐに歩きに切り換える。ペースを落とすと他のランナーが次々と抜いていった。スタート地点が標高2200m、最高で2800mという高地のせいか序盤から息が上がる。普段よりさらに抑え目のペースを心掛けて真っ暗のトレイルをしばらく行くと、一気に下っていよいよカルデラの底に降り立った。

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カルデラの底は広大な砂地になっていて、柔らかいところは足を取られて走りにくかった。なるべく草の生えているところや固そうなところを選んで走っていく。しばらく走ると前方遠くに山の斜面をジグザグに登っていくヘッデンの列が見えてきた。いよいよ一発目の急登だ。ここでポールを組み立てて足を使わずに登る作戦をとった。急登の斜面には途中で段差のある岩場もあったが、落ち着いて一歩一歩登っていくと上の方に白い小屋の屋根が見えてきた。登り切ってようやく1つ目のW1到着。

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ここでは水分だけ素早く補給をしてすぐにスタートをした。走れる長い稜線なのでポールも収納する。走りやすい斜度のトレイルだが、全体が真っ白な砂のため走るともくもくと砂埃が舞い上がり前が見えない。今回初投入のレッドレンザーは電池の持ちは良かったが、白い砂を照らすホワイトアウトしてと凹凸がわからずサーフェスが見えにくくて難儀した。またトレイルの中央にはバイクに削られたらしい深い溝が出来ており、この溝には細かな砂が溜まっているため非常に足を取られる。仕方ないので溝の縁を行くのだが、こうした走りにくいパートが多くて序盤からストレスを感じた。

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しばらく行くと下りのロードに出た。白い砂は容赦なく靴の中に侵入してくる。まるで靴のサイズが小さくなったようだ。途中腰を下ろして靴を脱ぐと、砂がこぼれ落ちた。そして靴を履くとまだ違和感がある。ひょっとして、と靴下まで脱ぐと、中からシャーっと砂がこぼれ落ちた。おいおいフューリーロードのタンクローリーかよ。これは砂との戦いになると確信した瞬間だった。

 

長いロードを下ると18km地点W2到着。ここでも水分だけ補給したが、カップ麺が置いてあるのを見て安心した。

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ここから先は登り貴重のトレイル。多少右膝の内側に違和感もあるがまだまだ順調だった。いつもの自分のマイル運びが出来ている。大丈夫だ。そう思って安心して走り始めた矢先にアクシデントは起きた。

 

走りにくいU字の溝に足を取られて思い切り転倒して、斜面に転げ落ちそうになった。落ちまいと踏ん張ったところに、太い枝が出ていて右脇腹の肋骨に刺さったのだ。ミシッという嫌な音がして激痛が走った。あまりの痛さにしばらくうずくまり動けなかった。折れたのか?呼吸をしてみる。それほど痛みは変わらない。痛みが無いのであれば単なる打撲か。少しマッサージをして、ゆっくり動く。ポールを使ってみるが痛くて右手に力が入らない。まだ序盤なのに大丈夫なのか。嫌な三文字が頭に浮かぶ。いや、脇腹くらいでなんだ。両脚は大丈夫じゃないか。キリアンだって腕が骨折したのにハードロックを完走したんだぞ。そんな弱気でどうする。そう言い聞かせて進み始めたが、しばらく思考は痛みに支配されていた。しかもさっきまで感じていた膝の違和感は完全に消えて肋骨の痛みだけになっていた。痛みは時にスパイスってわけか。しかしこれは飛び切りのホットなやつだ。

 

しばらくトレイルを進むと夜の湖の横に出て、27km地点W3へ到着。午前0時30分。ここからは最初の大きな登りスメル山中腹へのピストンコースになるので、エイドでカップ麺をもらい気持ちを入れ直して登りへと向かった。

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しばらく行くとランナーらしき人が折り返してきたが、早すぎてトップ選手なのかリタイア者なのか正直よく分からなかった。しばらく間をおいて2位、3位と選手が戻ってくる。そこから順位を数えながら進んで行った。かなり登ったところで17位くらいで折り返してくるスースーさんと安藤さんとすれ違った。スースーさんは少し疲れていて眠そうだった。「まだまだ元気そうですね」と安藤さん、「まだ序盤なんで抑えて入っています」と答える。ピークまでそう遠くない事を教えてもらい、お互い頑張りましょうと別れた。

 

ほどなく登るとピークの34km地点W4到着。山の上に小さなテントがあり、赤いリストバンドをはめてもらった。

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この時点での自分の順位は22位くらい。丁度半分くらいの位置だ。この先順調に完走できれば上位の半分の選手は脱落してくるはずだから、10位くらいで昨年並みの完走率であればゴールは射程圏内だ。そう思うと痛みも少しマシになったような気がした。下りながら山腹を登ってくる後続の選手に声をかけていく。息が上がって苦しそうなランナーも多い中でえらく元気な選手がいると思うと100kmのトップ選手だった。しばらく下り続けて再びW3に到着。既にカップ麺が売り切れていたので白飯を補給する。

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ここから先は緩やかな登りのトレイルだった。ポールを使うとまだ痛みはあるが、ロキソニンテープを貼ったせいか少し痛みはマシになった気がした。緩やかな登りを越えて下り基調のトレイルをゆくと朝焼けが見えてきた。ネギ畑の中だった。集落の周りはとにかくネギ畑だらけだ。あんなに大量のネギを一体どこで消費をしているのだろう。

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そんな事を考えながら朝焼けの中を行くと小柄なインドネシア人の女性ランナーに出会った。その後彼女とはしばらく抜いたり抜かれたりを繰り返し事になる。途中の急峻な登りでへばっていると後ろで応援してくれたり、ユーモアのある女性だった。登った後は激下りのロープセクション。尻餅をつきながらなんとか下った。タフな登り下りをクリアしてしばらく行くと最初のデポバッグ受け取りエイドが見えてきた。

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54km地点W5b、朝の7時到着。なんとエイドではスースーさんと安藤さんが道端でエマージェンシーシートにくるまって寝ていた。デポバッグを受け取り会社の子に餞別にもらったカップヌードルを食べた。蓋には「塚田さん、ケガ気をつけて」と書いてあった。ごめんな、もうケガしちゃったよ。

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靴の砂を抜いているとスースーさんが目覚めて起き上がった。「さっきの激下りでやられました」と言っていたがその表情は元気そうだった。「ここからはロードの下りと登りなので、距離を稼げますよ」と言って元気に再スタートして行った。

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ほどなくエイドを出ると、確かにアスファルトの長い長い下りだった。足にダメージを与えないようにそこそこのスピードで下る。日が昇り気温がぐんぐんと上がるのも辛かったが、それよりも坂道を次々と登ってくるバイクの轟音の方が参った。とにかくバイクの量が尋常じゃない。生活手段としてのバイクと、観光地なので遊びの改造モトクロスバイクとの両方が途切れなく登ってくる。荒涼とした世界でバイクで生きる人々。まるでMADMAXの世界観そのものじゃないか。

 

ようやく下りきってロードの登り返しを、左右のポールを使いながらひたすら登っていく。右手遠くにスメル山の頂が見えた。途中で集落を通過すると、ネギ畑で背中に背負った水を撒く男性、急峻な斜面におりて農作業をする女性など過酷な山で暮らす村人の生活を感じる。そんな姿を見ながら登り続けていると、エイドが集落の中に見えてきた。

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63km地点W5c、9時30分到着。エイドは小さな小屋だった。2本目の緑色のリストバンドを手首にはめてもらう。

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小屋の中で白飯にスープをかけたものを頂いてすぐに出発した。そこからはまた延々とロードの登りが続き、うんざりしてきた頃にようやく土のトレイルに入った。しかしこれはまだ苦しみの始まりに過ぎなかった。

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それはバイクだ。そもそもトレイルにものすごいタイヤ溝があるので嫌な予感がしていたのだが、次々と後ろからモトクロスバイクが来る。その度にトレイル脇に避けて道を譲らなければならない。この峠道は町とカルデラのちょうど境界にあるので、バイカーの通り道になっていたのだ。バイクが走り過ぎた後はもくもくと砂埃がおさまるのを少し待たなければならなかった。バイクの来るたびに砂埃はトレイルが真っ白になり見えなくなった。バイクを避けながらしばらく登るとようやく目の前に巨大なカルデラとバトゥ山が見えた。雄大な姿を右手に見ながら、トラバースするトレイルを走って進んで行く。長いルートを進むとようやく遠くにエイドが見えて、安藤さんがいるのが見えた。

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午前10時半、73km地点のW8到着。簡易テントの前ではスースーさんが仰向けになって寝ていた。見るからにキツそうな状態だった。「完全にゾンビだよ。思い切って2時間ほど寝たほうがいいかもな」と安藤さん。「熱中症かもしれないですね」と僕。スースーさんはテントに移動してしばらく寝るようだったので、先にエイドを出た。あの強いスースーさんがここまで苦しむなんて。やはり恐るべしだなBTS

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「ブロモ山までは絶対に行きましょう」と言い残してエイドを出てしばらく下ると再びカルデラの底に出た。そこは荒涼とした砂漠だった。遠くに砂嵐が巻き上がっているのが見えて、まるで映画で見たことがあるような光景だった。

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走りやすい砂地を選んで走っていくと、逆走してくる日本人の100km選手とすれ違った。会話を交わすとホッとする。遠くにバトゥ山の姿を見ながら、砂嵐を避けながら進んで行った。f:id:ayumuut:20181113211346j:image

遠くにロードの登りの取り付きが見えた。カルデラ観光のランクルが登り降りするのに使っている道らしく沢山のランクルとバイクがいた。

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ロードの登りをゆっくり登る。途中で足の砂を抜いていると、またインドネシア人女性が元気に登って行った。彼女は本当に元気だ。眼下にバトゥ山を見ながら登っていくと、ようやくエイドに到着した。

 

79km地点W9に12時半到着。エイドでは先程の女性が靴から砂を出していた。「君は本当に強いね」というと「とんでもない」と怒り気味に答えた。そうだよな、誰も余裕で走っているわけなど無いよな。間も無く安藤さんが到着し、しばらくしてスースーさんもエイドへ来た。すごい、もう復活してペースを上げている。「先にゆっくり行っているので抜かしてくださいね」と声をかけてエイドを出た。

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実はここで一つのミスをおかしてしまった。水を補給し忘れたのだ。すぐ気づいて戻るか行くか迷ったが、ボトルに300ml以上は残っており、また次のエイドまでは下り基調なので、水を節約しながら進むことにした。トレイルは眼下に先ほど来たカルデラの底を見下ろしながら逆方向へ稜線を戻るようなコースだった。

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美しいブロモの山を見下ろしながら気持ちよく進む。適度にアップダウンのある稜線をしばらく進むと14時20分、87km地点のW10に着いた。

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ようやく水を得られた安心感でコーラと水を十分におかわりしてエイドを出た。ここでようやく半分だ。やっぱりマイルは長い。しばらくロードで集落を抜けて下りきった後に、また長いロードの登り返しが始まった。間も無く後ろからポールの音がして、振り返るとスースーさんと安藤さんペアが追いついてきた。「よかった、完全復活ですね」と喜ぶ。登りが早い2人は追い越してぐんぐん登って行った。

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しばらく行くと曲がるところを間違えて少しロストしたが、GPSですぐに気づいて戻り、農道へと入って行った。ここのから畑の横を行く登りは長かった。山の畑に日暮れが迫っている中でひたすら登っていく。途中で空腹感を感じてザックのクロワッサンを食べたら、口の中なのか手についた砂なのかジャリジャリと嫌な感触があり、吐き気を催して気分も下がった。とにかく今は目の前の坂を登るだけに集中しよう。

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終わりの見えない長い登り坂。途中で猟銃を持った若者が2人バイクで坂を登っていった。何気に向けられた銃口が不吉さを感じさせた。僕はまた登る事に集中する。延々続く登り坂、嫌になった頃に遠くにエイドが見えた。

 

99.6km地点W11到着。またスースーさんが土嚢を枕に寝ていた。何度もエイドで追いつくが、僕が到着すると必ずスースーさんは復活する。「この登りでやられました」「長かったよね」そう文句を言いながら、安藤さんがホットジンジャーを回してくれた。甘くて美味しかった。「さあ残るは最大の難所ロードの登りだよ」安藤さんはそう言ってスースーさんと先にエイドを出て行った。僕もヘッデンの準備をしてエイドを出たが体が冷えきってしまい、パワーグリッドをザックの上から羽織って登って行った。

 

ここからPANANJAKANのピークまでは単調なロードの登りだ。しばらく登ると路面が濡れているところがあり、インドネシアで初めての雨に遭遇した。スコールのように降るのであればレインウェアを切る必要があるが、それほど強くもない。どうしようかと迷っていたが、体を少し濡らす程度でそこまで本降りにはならなかった。ここブロモは山も大地も乾いている。年間通じてほとんど雨が降らないであろう事はその植生が証明していた。時々路面が濡れている箇所があり、そこを歩くと局所的にバラバラっと雨の筋を通り抜ける。そんな事を繰り返して、ようやく山頂の村PANANJAKANのゲートを通過して、山頂にあるエイドへ到着した。

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105km地点W12、午後7時到着。山頂のエイドでは先に到着したスースーさんと安藤さんが2時間ほどテントで仮眠をとると言って奥へ行った。僕はドロップバッグからカップヌードルのシーフード味を出して食べた。「塚田さん 乾燥ワカメ無くてごめんなさい」ワカメなんか無くても十分美味しかったよ。最後のジェルを補給してあまり長居をせずにエイドを出た。

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エイドから登って来たロードを戻っていくと、すぐに誘導員が右のトレイルへと指示してくれた。これが昨年安藤さんが大ロストしたという、トレイルの入り口か。今年は誘導員をつけてロストしないように大会側も配慮しているようだった。しばらく下り基調のトレイルを気持ち良く進む。このあたりはまだ、体力も足も問題無かった。そう、このあたりまでは。

 

下り続けるうちに、また靴下の中に砂が入って足を圧迫してきた。そのうちに足の裏に酷い痛みが起こるようになった。完全に豆が出来た痛みだった。砂というやつは本当に厄介だ。考えてみれば細かな鉱物の粒なのだから、摩擦係数だって高いはずだ。その証拠に靴下の脱ぎ履きが引っかかる感じで困難になっていた。この靴下の編み目を通り抜けて中まで侵入した細かな石の粒が、長時間にわたり足をこすり続けたのだ。そりゃ豆だって出来るだろう。右足の裏の中央に出来た大きな豆は、下りで大きなブレーキをかける事になった。ちゃんぷさんが信越マイルで豆のせいで下りに苦労をしていた事を思い出す。まだ100キロ過ぎだ。こんな足の状態で最後まで行けるのだろうか。またしても嫌な三文字が頭をよぎる。早く次のエイドに着いて、足から砂を取って処置をしてほしい。だが次のピークでスタッフにあと次のエイドまでどのくらいと聞くと、はるか彼方下方にある街の灯を指さされ、絶望を感じた。

 

そこからの激下りは痛みとの戦いで本当に辛かった。頭の中は痛みだけに支配され、焼畑農業なのか黒焦げになった灰だらけの不潔なトレイルをゆっくり一歩一歩下って行った。そのうちあまりにも下りで時間がかかったので、水が底をついてしまった。乾きと痛みに苦しみながら、急斜面をよろよろと下り続ける。足は痛くて踏ん張れない。でもとにかく降りるしかない。ようやく町に降りたと思ったらまたしばらく町の周りを走らされて、完全に最後の水が尽きてゾンビのようになってエイドに到着した。既に前のエイドを出てから4時間半が経過していた。

 

117km地点W13、午前0時到着。そのエイドは民家の中だった。三世代家族が談笑する民家のリビング。そこのソファに倒れこむように座って出された水を一気に飲んだ。家の中で悪いと思いつつも断りを入れて靴の砂だけ出させてもらった。娘と祖母が眠たそうな顔をして、こんな時間に訪れた異国からの珍客の事を笑っている。なんだかとても懐かしい感じがする家族。僕はその居間で疲れ果ててカップ麺をすすった。気分を少しでも前向きにしようと麺を喉に無理やり押し込んだ。

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外は寒かったが、パワーグリッドを羽織って家を出た。ここから先は最初のコースにつながるほぼ1000mアップの激登りが待っている。いくつかの集落を越えて行くが、夜の集落では野犬に吠えられる。野犬と言っても飼い犬なのかもしれないが、鎖に繋いで無いので僕にとっては野犬と一緒だ。道端に唸りながら出てくる事もあるし、一度土嚢にグローブを置いて休んでいたら遠くの家の方で吠えていた野犬が山を駆け下りてきた事があって、慌てて出発したらグローブを置き忘れてしまい、野犬が吠えているところまで取りに行った時は心底肝を冷やした。昼間ならまだ飼い主がなだめてくれるのではという希望もあるが、夜はどうしようもない。だから集落の中で道を探すときは極力静かに、野犬を怒らせないように進む。

 

集落を抜けてまた山に入った。山に入り長い尾根沿いのトレイルをひたすら登っていった。しばらく登り切ると1周目のトレイルへの合流点があるはずなのだが、ここで合流点が分からず結構なロストをする。地図を見て下っているはずなのだがカルデラへ下るトレイルが見つからない。ネギ畑の中をカルデラへ下りたくなったが、おかしな道を下ってしまうとと余計に時間がかかることになる。慎重に等高線を見ながら考えると、その先の地形が尾根になっている事がわかり、そこを越えるとようやく見覚えのある下りトレイルへの入り口に出た。そのままスイッチバックの下りをカルデラへ降りた。

 

夜のカルデラ砂漠を、はるか彼方に見える外輪山の取り付きへと走っていく。もう空が白み始めており、ここが登りで1番時間のかかるセクションではあるが、出来れば夜明けまでには上まで登り切ってしまいたかった。前には1つだけ先行するヘッデンがあり、後ろはヘッデンが無い。スースーさん達は大丈夫だろうか。取り付きまで走ってたどり着き、登っていく。息が上がる。急峻な登りは一度目よりも長く感じ、なかなか山頂の小屋が見えてこない。息を荒げながら登り続け、あたりがうっすら明るくなってきた頃にようやく稜線の山小屋に到着した。二度目の夜が、明けた。

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131km地点W1、5時20分到着。登り切った向こう側には朝日が見えていた。腰を下ろして荒ぶる息を整える。先行して登っていた中国人ランナーはテントでゆっくり休んでいた。豆が出来てしまった長い下りと先ほどの登りのパートでかなり貯金を食い潰してしまった事を悟った僕は、焦りに囚われていた。ゆっくり休んでいる暇はない。先を急ごう。

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すぐにエイドを出て、稜線のトレイルを走る。登りは早歩きで、フラットと下りはランで急ぐ。最初の時は真っ暗闇で見えなかった砂っぽいトレイルが、朝日を浴びて見えており、快適に走る事が出来た。途中で後ろから来た白人の華奢な女の子を先に行かせてあげた。彼女は前半はかなり後ろの方にいたのだが後半かなり順位を上げてきていた。強い子だ。

 

稜線はかなり長く、何度もGPSで位置を確認しながら進む。この先は比較的フラットな走れる区間なので、次のエイドには出来れば午前8時には着いておきたい。そうすれば残りの3区間を3時間ずつのタイム設定で心に余裕を持って進む事が出来る。そんな計算をしながらここの走れるトレイルは気を緩めずに急いだ。不思議な事に集中していると豆の事は気にならなかった。しばらく行くとロードに出る。一周目はこのロードを左に折れて町に降りたのだが、今回は直進するコースだ。スタッフがあと2kmと教えてくれた。トレイルあるあるで2km以上はあったのだが、アップダウンの舗装路を急いで走ると、ようやく遠くにエイドが見えてきた。

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141km地点W5a、7時42分到着。目標タイムの8時よりかなり早く到着出来たので安心した。一足先にエイドにいた白人の女の子が「私たちには十分な時間があるわよ」と言ってくれたが、「本当に?」と答える。エイドのスタッフも大丈夫、十分に時間はあると言ってくれて少し安心する。ここのスタッフは非常に親切で、足にブリスター(豆)が出来たと言ったら、足を水で洗浄してテープで擦れないように固定をしてくれた。ありがたかった。

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この後のエイドはあまり食べ物が無いので、チャーハンのようなものを腹に入れて8時過ぎに出発。砂埃のトレイルを少し下るとすぐに緑の大平原に出た。まるでヨーロッパのような(行ったことないが)緑の丘のトレイルだった。

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しばらく進むと緑の谷へと降りて行き、全く緑の無い荒涼とした砂漠へと放り出された。そこには大勢の観光客がいた。

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そこはブロモ山観光の入り口だった。大勢の観光客の中を通って砂漠を走っていく。だがこの一帯は観光地という事もあって沢山のランクルやバイクが砂埃を上げながら進んでおり、その中を走るのは過酷だった。最初は我慢していたがそのうちに砂埃に耐えきれずにバンダナをする。昼間の砂漠は気温がぐんぐんと上がっていく。バンダナは暑くて長時間出来るものではない。外す。またランクルが来る。バンダナをする。そんな事を繰り返しながらのろのろと進んでいった。
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ブロモ山取りつきまでの12kmは砂漠の中を縦断するフラットなルートで走らなければならない。しかし下は柔らかな砂地で、140km走ってきた僕の足の力を容赦なく吸収していく。なるべく固そうなところを選んで、足で蹴らないようにして体を運ぶような動きを意識して走ったが、前を行く中国人ランナーとの差が次第に開いていった。離されないように必死に追い上げる。淡々と走れば良いのだ。淡々と。

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そのうち風景はごつごつとした谷状のところに入っていった。アップダウンのある谷を進むとようやく左手に大きな山が見えてきた。あれがブロモ山だ。そのうち上の方にブロモ山中腹を行くとランナーの姿が見えてきた。GPS通りに進んでいると行き過ぎてしまいロストしかけたが、引き返してブロモ山への取りつきを登り始めた。足元は崩れやすい砂の山だったが、ゆっくりと登って行く。

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中腹まで登るとカメラマンが次のエイドまでブロモ山の中腹をトラバースするルートを教えてくれた。ブロモ山の斜面はざらざらとした砂の斜面でところどころ深い溝が掘れており足元はかなり悪かった。

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溝の無いところと安全そうな踏み後を選んで慎重に横移動をしていった。

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最後の大きな溝を底まで降りて登りかえし、ようやくブロモ山登山口にあるウォーターエイドに到着した。153km地点W6、BROMOに10時42分到着。ここまで3時間近くかかってしまったが、かなり体力を消耗したので腰を下ろして水分を補給する。このウォーターエイドはブロモ山登山口の階段の真下にあり、周りにも観光客向けの物売りが大勢いた。しばらく座って呼吸を整える。高台から見下ろすあたりの景色は雄大だったが、景観よりも自分の残された体力だけに関心が集中していた。

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少し休んだ後、空元気で写真を撮ってもらい、いよいよブロモ山火口への階段を登り始める。

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普段なら何という事は無い階段だが、この時ばかりは少し登ると息が上がってしまい途中の踊り場で休憩をしなければならなかった。

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休み休みで階段を登り、ようやく火口の淵へ出た。

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そこには地獄の窯のような火口が口を開けていた。あまりの景色にオーマイガッと思わず言葉がもれる。係員が170kmと100km選手は左へ行くように指示していた。その方向を見るとそこには火口の巨大な壁がそそり立っていた。よく見るとその火口の壁の上を、蟻ん子のような人影が進んでいるのが見えた。何という高度感だ。落ちたら死だ。ここから見る火口壁はまるで薄い板のようでもあり、その板のあまりにも薄い断面の上に、薄氷を踏むが如くか弱い人間がへばりついている。恐怖が喉元を締めつけるようだった。

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本当にこのルートを全選手が進んだのか信じられなかった。もしもここで恐怖のあまりドロップするという選択肢はあるのだろうか。正常な判断としては、ありだと思う。しかし二晩をかけて150km以上走ってきて、もはや僕には正常な判断が何なのかがよくわからなくなっていた。目の前に完走メダルをぶら下げられて、ここで引き返すという選択肢は無かった。f:id:ayumuut:20181113213401j:image

火口へと一歩を踏み出した。その途端ものすごい突風が吹いた。左から右、火口の外から内側方向だ。思わず腰を下ろした。帽子が飛ばされそうだ。帽子をとる。そして帽子のベルクロを一番きつい締めつけにして、かぶり直した。立ち上がる。一歩一歩前に進む。両手に二本のポールがある。細い棒をこれ程心強く思った事は無かった。横殴りの突風は何度も吹いた。前にあるコースフラッグが大きく右へとなびいている。落ちるなら火口の外に落ちよう。外側に体重をかけ気味にして一歩ずつ進む。火口の内側は直視が出来なかった。

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遠くから見ると薄氷のように見えた火口の淵は、歩いてみると少し幅広な足場だった。風がやんだ時には少し走ってみる。ゆっくり行くよりも早く進んだ方が慣性の法則で左右に振られにくいはず、そんな思惑があったのだ。こうして進んでいると向こう側から例の白人女性ランナーが戻ってきた。「火口を回らないの?」「コース変更になったようで、あの頂上にあるフラッグまで行って戻ってくることになったの」と言う。「本当に?(少し嬉しい)」。突風なのかコース崩落なのか、火口を一周しなくて良いというのは吉報だった。とにかくあそこの旗まで行けば良いのだ。大丈夫、何とかなる。

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ようやく火口の細い部分を渡り切り、写真を撮っていると後ろから聞き覚えのある声が、スースーさん達だった。良かった、間に合ったのだ。そしてまさかブロモの火口で会うなんて。

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火口の淵で再開を喜び合い、「女性ランナーがフラッグまでのピストンにコース変更になったと言っていましたよ」と言うと、安藤さんは「それ本当かなあ」と言っていた。復活した二人は早いペースでフラッグのある頂きへの斜面を登って行った。僕もゆっくり後を追う。f:id:ayumuut:20181113213658j:image

ようやくフラッグのあるピーク(火口の淵で一番高い部分)までたどり着くと、そのピークの向こう側にはまたしても荒涼とした稜線ルートが広がっており、無情にもそこには黄色いフラッグがこっちへ来いとルートを導いていた。

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稜線の先には既に下って先を行く二人の姿が見える。あの女性の言っていた事は誤情報だったのだ。やはり僕たちは火口を一周しなければならないようだった。

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ピークからの稜線は急降下して一度稜線の鞍部に降りて、また登りかえすルートだった。ここは先ほどの火口の淵よりもさらに脆く、狭い足場で、前を行く人の足跡を踏んでいてもみるみるそれが崩れてしまうようなナイフリッジの稜線だった。

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もうここまで来ると引き返す事も出来ず、恐怖というスイッチを切って、無心で左右の足を進めていった。恐怖を切るというよりも、もう怖いという感覚が麻痺し始めていたのかもしれない。歩く度に崩れていく稜線をのろのろと進んでいくと、ようやくバトゥ山方向へ右手に下っていくルートが見えてきた。f:id:ayumuut:20181113213834j:image

先ほどの白人女性が後ろから追いついてきた「Sorry, I made mistakes.」多分登り口まで戻って先へ進むよう言われたのだろう。あの火口の淵を1.5往復したのかと思うとその精神力に驚いた。先に行かせると下りもゆっくり丁寧に降りていった。彼女に続いて稜線を下っていくと、さらに急降下して谷底へと降りるルートが見えてきた。垂直に近い下降ルートだったが、砂が脆くて足の踏み場がずるずると崩れ落ちるような道を半分尻餅をつきながら砂煙をもくもくと舞い上げながら降りていった。赤茶けた岩の間を続くフラッグを追って谷底まで降りると、そこにはインディジョーンズのような峡谷が広がっていた。

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巨大な岩の狭間を進む。足元には時々大きな水たまりが道を塞いでいた。水にはまらないように避けながらアクロバティックなルートを進んだ。

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目の前に突然現れた竹梯子。下を見るとあまりの高さに目が眩む。一段一段の段差が大きな梯子、女性の足が届くのだろうかと心配しながら慎重に下る。

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谷には所々に1mほどの巨大な岩が道を塞いでいた。こんな岩が落ちてきたら一たまりもない。今だけは落石は勘弁してくれと願いながら進む。こうして竹梯子をくだり、水溜まりを避け、岩壁を下り、また梯子をくだり・・・そのうちにインディジョーンズ峡谷にもうんざりしてきた。早くこの圧迫感のある谷間から出たい。だが両側の岩壁はまだまだ続く。足場は悪く、少し開けたと思っても砂地で全く走れない。聖櫃など無いこの峡谷を僕はのろのろと探検する。砂漠のように乾燥した空気ですぐに喉がカラカラに乾く。砂漠の暑さと乾燥と、後は稜線を進んだ緊張のせいで普段よりも多くの水を消費してしまっていた。水切れの恐怖と戦いながらこの峡谷の事が心底嫌いになった頃、ようやく前方にテントが見えてきた。

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最終エイド、156km地点W7、12時50分到着。ここまでの区間は大変だったが、距離は3kmほどだったので何とか2時間で到着することができた。暑い砂漠のテントの中に座り込み、お湯のようなコーラと水を飲む。残りは約13kmだ。また砂漠を越えて最後の激坂が待っているので、脱水にならないように十分な水分補給をする。しばらく休んで日本から持ってきたぬれせんべいを食べて、意を決してエイドを出た。残り時間はあと4時間。十分な貯金を作る事が出来たはずだ。この時点でようやく完走を確信する。だがマイルの神はそう簡単にはゴールを準備してはくれなかった。

 

そこから先は、砂漠を縦断する長いルートだった。バトゥ山の麓をぐるりと回る長い砂のロードを走りと歩きを繰り返しながら進んでいく。ランクルとバイクの砂ぼこり、そして時折巻き上がる砂嵐は相変わらずだ。もはや少し走っては歩いて、また頑張って走る、を繰り返す。ゆっくりのジョグであればマフェトンで疲労も抜けるはず、そう言い聞かせながら何とかゆっくりでも走る事を心掛けた。砂漠の中に続くフラッグを辿ってしばらく行くと、そこからGPS上では折り返すポイントへ来た。折り返した後は砂漠を横断して外輪山の取りつきへと行くルートだ。そこにフラッグは無かったが、GPSを信じて右後方へと折り返した。これが大ロストのはじまりだった。

GPSを見ながら進行角度を決めて直進した。最初は砂漠だったのが、次第に膝丈くらいの草地に入っていった。まわりには何もない。しばらく直進していると、後ろからバイクが近づいてきて男が声をかけてきた。他のランナーはむこうに向かっているぞ、俺が運んでやるから後ろに乗れ、と言っている。レースしていてバイクに乗ると失格になるので断ると、いいから乗れ大丈夫だから、と何度も言ってきた。俺は乗らないと言って無視して走り出すとバイクは諦めて去って行った。そのまま走り続ける。なかなか外輪山が近づいてこない。足元の草は腰丈くらいになってきて、とてもじゃないが走れる状態では無くなってきた。マーキングを探すが見つからない。GPSと何度もにらめっこする。方向は合っている。だがここは完全にコースでは無い砂漠の中の藪だった。コースが変わってしまったのだろうか。理由はわからないがロストしてしまった事だけは確かだった。元のルートに戻るか?このまま進むか?判断を迫られる。進んだとしてもトレイルヘッドがあるとは限らない。GPSデータが間違っている可能性すらある。さすがに藪が深くて直進は不可能と判断して、草丈の低い方向へと移動した。しかし走れるようなルートはそこにも無かった。時間は午後2時半。時間は冷酷に過ぎていく。あれだけ余裕があった時間があと2時間半しかなくなっていた。完全に途方にくれる。周りを見渡すがどこにもマーキングは無い。さっきのバイクに乗らなかった事を後悔する自分がいた。160kmまで進んでリタイヤなんて、そんなことってあるだろうか?砂漠の藪の中に1人。絶望感。孤独。思わず神よ、と嘆いた。

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GPSが信頼出来なくなったのでGoogleMapでホテルの位置を確かめた。思っていた方向とは違い、低い外輪山の上にホテルがある事が確認できた。あそこがゴールだ。目視で確認したホテルの方角へひたすら走る。もうマフェトンなど言っている場合ではない。藪をかき分けてペースを上げ走った。タイムアウトになるかどうかはわからないが、今出来ることはホテルのある方向へ走るしかなかった。しばらく走っていると外輪山が近づいてきたが、肝心の登り口がその急峻な山肌には無かった。もう一度GPSを確認する。GPSのルートはかなり左方向から斜面を登るルートを示していた。そちらを目視で確認する。斜面にうっすらと山道らしきものが見える。あそこだ。正規のルートかどうかはわからないが、あの登れそうなところに行くしかない。

大きく左側に進路を変えて、山道らしきものが見えた方向へひたすら走った。持てる力を振り絞ってスピードを上げた。斜面が近づいてきた。人らしきものが見える。多分幻覚だ。誰かが待っていてほしいという思念が形になっただけだ。走る。斜面が近づいてきた。

やっぱり人なんていなかったが、そこには赤と白のマーキングテープがあった。生還。

 

トレイルヘッドに取りついた後は、とにかく死にもの狂いで登って行った。ようやく最後の登山道を見つけた、その嬉しさは大きかった。ゼーハーと声を上げながら登っていくと、上から二人組のランナーが降りてきてすれ違いざまに水をかけて冷やしてくれた。こうして何度かのスイッチバックを繰り返して、ようやくスタッフがいる稜線に出た。「コースマーキングはあったか?」と聞かれたので「無かったのでロストしたよ!」と答えた。他にも迷ったランナーが多かったらしかった。

そこからは高台の町を越えて、畑の中をもうひと登りするルートだった。疲れた体にはこの登りも大変だったが、何とか登り切って、また畑の中の急な下りを降りていった。左足首に痛みが出てしまいほとんど走れなかったが、小走りに下っていった。下り切るとアスファルトの舗装路に出て、ちょっとした登り返しがあり、最後の集落を通過した。女性スタッフが残り3kmと教えてくれた。

カーブを曲がるとそこには、長い長い登り坂が見えていた。もはや走れる体力は無かったが、ポールを交互につきながら必死に登っていく。時間は午後4時だった。最終エイドから4時間の貯金を作ってあったのが、残りわずか1時間になっていた。すぐに息が上がってしまう。手元の心拍計を見ると140台だった。そこまで心拍は上がっていないのに身体が悲鳴を上げている。だがここで出し切らないと最終関門が危ない。ここまで来てDNFなんてごめんだ。両手両足をフル回転させて登る。

登り坂が高台になっていてそこまで登るとまたその先の坂が見えた。何度か偽ピークを繰り返して終わりの見えない坂を必死に登ると、ようやく右手の高台にホテル群が見えていた。あの中にゴールのLAVAホテルがあるはずだ。ゴール前に虎山さんにメールを送ると言っていたが、もはやそんな余裕すら無かった。急げ。全て出し切れ。完走を勝ち取れ。

ようやく長い坂が終わり、集落の中を右側に移動していく。村人にホテルへの道を聞いて、ホテルへ続く最後の登り坂を一歩一歩登り切った。登り坂の途中で後半一緒だった中国人ランナーが足を洗っており、無念そうな顔をしていた。

最後の坂を登り切ると、そこからはホテルの敷地へと続く長いストレートだ。もう走れる力は残っておらず、歩いてゴールへと向かう。前方から帰路につくランナーたちが歩いてくる。おめでとう、と拍手喝采をしてくれた。思わず目頭が熱くなる。ありがとう、ありがとう、と答えながらゴールへ続く坂道を下って行った。

最後の登り坂でついに腰がおかしくなっていた。マイル腰だ。でもUTMFの時ほどではない。まだ動ける。少しなら走れる。マイル腰は全て出し切った自分への勲章だったんだな。

 

遠くにゲートが見えてきた。スタッフ達がゲートの向こうに集まってくる。両側の人たちがおめでとうと歓声を送ってくれる。嬉しい。

音楽のボリュームが上がった。大歓声の中、両手を上げてゴールゲートを通過した。

 

45時間21分の戦いが終わった。

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<ゴール後>

感動のゴールをしたと思ったら、眉毛がつながっていた。フューリーロード恐るべし。

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ゴールゲートでスタッフがインタビューしてくれた。素晴らしいコースを作ってくれたオーガナイザーとボラのスタッフへの感謝を言ったつもりだが、伝わっただろうか。

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自分が最終ランナーかと思っていたら、白人女性ランナーが最後にゴールしていた。どこで抜かしたんだろう。きっと最後のカルデラ砂漠で同じようにロストしたのではないだろうか。

 

今年の完走者は全部で15人。僕は13位だった。毎年完走率が上がっている。インドネシアのレベルも年々上がっているのだろう。

 

ゴール後の泥を落とそうとシャワーを浴びたら、身体が冷えてしまい震えが止まらなくなって、全裸で毛布にくるまって寝た。虎山さんが熱い紅茶を入れてくれて少し回復した。

 

結局その夜は打ち上げも出来ず、ビールも飲めず、8時間くらい寝て、良く朝起きたらようやく復活していた。翌朝のバンガローからのブロモ山は忘れられない美しさだった。

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翌日の朝食で念願のビールを飲んだ。

ブロモは観光地でビールがあったが、スラバヤではビールを手に入れるのが大変。コンビニにも売っていない。

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終わってみれば一番過酷で、でもこれまでで一番美しいコースだった。

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KOUMI2018 100マイル完走記(ペーサーとして)

KOUMI100 (2018.10.06~08)

 

セカキタこと世界のキタノさんのペーサーとしてKOUMI100を走ってきた。信越で引っ張ってもらったお返しに今度は僕がペーサーをする番だ。

KOUMI100は一周32kmを5周もさせられる、まともな人間ならば精神を病んでしまうと言われる難コース。大体2,3周目でメンタルをやられてしまうというのが典型的な症状と言われている。

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これがコースマップなんだが、今年は大雨でコースが崩落。前日夜のブリーフィングでニュウ(乳)の登りが崩れているので、下りルートから登って降りてくるピストンに変更という発表。そのため距離が伸びて36km(160⇒180km)になるという発表があり、折からの蒸し暑さもあって過酷なレースになるのは間違いないと思われた。

 

ランナー達と一緒に土曜夜に現地入りして、自分はペーサーなんで気楽にビールを飲んで就寝。翌朝午前3時起床、スタート地点へ向かった。

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真っ暗な午前5時にスタート。カウントダウンも無く唐突にスタートするというゆるさがOSJクオリティ。ヘッデンをつけたランナー達は闇夜へ吸い込まれていった。

 

しばらく仮眠室でうとうとする。4時間くらいでトップ選手、続いて帝珠さんが帰ってきた。速い。

 

続々とクラブの仲間も帰って来る。キタノさんは1周目、5時間30分くらい。元気に帰ってきた。こちらも張り切って水を入れ替えたり、そばを運んだりする。少し休んですぐにエイドを出て行った。

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次に帰ってくるのは夕方かなと思いながら、またしばらく横になる。スマホをいじったり仮眠したり。100マイルはサポートで待つのも長丁場だ。

 

夕方5時過ぎにキタノさん帰って来た。2周目は6時間40分くらい。少し顔がつかれていた。足が痛そうで、トイレへ行く歩みもゆっくり。エアサロで前腿を冷やす。下りでがんばりすぎたのかもしれない。大丈夫だろうか。

カレーメシ食べる。キタノさん、カレーメシ5分かかるって知ってましたか。しっかり完食していましたが、エイド長かったですね。

 

キタノさんの目標は、3周を20時間で終えること。6時間+7時間+7時間であればちょうど20時間だ。1、2週目はほぼタイム通りだったから、3週目は7時間ちょっとで午前1時までに帰ってくると約束して、元気にスタートしていった。

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仮眠室でまたしばらく横になる。この頃にはペーサーとリタイアした選手が一緒に雑魚寝をしていた。この夜戦病院感、いよいよ100マイルらしくなってきたな。

 

23時頃から起き出して、着替えて食事をとって準備を始める。深夜0時頃からは岩本町の速いランナーたちが続々と帰って来て、ペーサーと一緒に4週目にスタートしていく。

 

0時半過ぎに北斗くんが帰って来た。あの強い北斗くんが足攣りに苦しんで、しばらく立てないでいた。このコースの恐ろしさを目の当たりにした瞬間だった。

 

さすがに1時には出ないとまずいよねと北斗&設楽ペアもスタートして行った。次第に待機しているペーサー達に焦りの色が見え始める。

4週目は遅くとも1時半にはスタートしなければ、ゴールは難しくなるというのが下さんも言っていたKOUMIの通説だ。1時半で残り7時間半なのだから、きっとその通りなのだろう。でもキタノさんはまだ帰ってこない。

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午前1時

キタノさん、帰ってこない。

午前2時

キタノさん、帰ってこない。

 

さすがにやばくないですかこれ。

 

マツーイ&ミキティ夫妻と、キタノさんどこかで寝ちゃったのかな、などと心配する。完走の可能性が一気に遠のいていく気がした。

 

午前2時過ぎ、キタノさん帰ってきた。両手を合わせて謝っていた。

8時間以上が経っていた。

 

残り時間は6時間45分。

事態は絶望的に思えた。しかしどんな状況下であれペーサーがやるべき事はただ一つ。

選手をゴールへ連れて行く。

 

「キタノさん、大丈夫まだ完走は出来ます。でも走らないと間に合わないです。この4周目を最後と思ってキタノさんの全部を出し切ってください。」

 

休む間も無くエイドを出た。深夜2時15分。濃厚なキャベツの香りが充満した真っ暗な農道を並走して進む。

 

正直、完走出来る確信なんて無かった。何しろKOUMIのコースを走るのは初めてだ。途中の目標タイムも何もあったもんじゃない。ただ、キタノさんの力を限界まで引き出すこと。僅かでも完走出来る望みがあるとすれば、今はそれ以外にやるべき事はない。

 

僕は鬼になった。

 

しばらくロードを進んで林道に入る。ここまで戦ってきたランナーの気持ちを折るような、退屈で緩慢な登り。先を行きながらジョグで登りを引っ張る。キタノさんとあえて距離を取って先を行き、後ろを振り返ってキタノさんが歩いていると手を叩いて鼓舞した。フラットなところに出るとまたジョグで引っ張る。林道は途中ぬかるんで足場も悪かったので走りづらかったに違いない。でもとにかく走れるだけ走るしかない。

 

そのうち、ちらほらと先行するランナーを抜くようになった。大体みんな諦め顔でよろよろと歩いている。途中で抜いたペーサーとランナーが辛そうな顔をして「完走厳しいですよね」と言っていたが、「大丈夫でしょ!行けるでしょ!」と答えた。きっとそれは自分に言い聞かせていたのだけれど。 


そうだ。ペースは確実に上がっている。

 

しばらく行くと最初の本沢温泉エイド。エイドの手前でキタノさんのフラスクをもらって先に走り、補給時間を縮める。

そこから先はロードを少し登って、長い下り。このあたりから戻ってくる速いランナーとすれ違うようになり安心感が増した。

 

長い長い下り坂では、キタノさんはゆっくりと走っていた。「もう少しペースを上げましょう」僕はそんな残酷な言葉を吐く。ペースを上げられるのなら、とっくにそうしているだろう。しかし彼はもう120km以上も走っているのだ。きっと心の中で僕を恨んでいることだろう。それでもいい。ペーサーとして出来ることをやらずに関門に締め出されるのはごめんだ。

確か2時頃に出て7時間ペースで引っ張ると言っていたサクさんにも追いついた。ランナーは屈伸をしていて、足が完全に終わったようだった。挑む者と諦める者。暗闇の中での死闘は続いた。

 

ロードを降り切って少し登ると稲子湯エイドに到着。ここでキタノさんはトイレに行く。外で待っていたがなかなか出てこなくて焦る。ガスが溜まってお腹の調子が悪そうだった。エイドを出てまたロードを走り、しばらく行くとトレイルの入口に到着。いよいよコースの最高峰、ニュウ(乳)への登りだ。

 

「キタノさん、登りは出来るだけペースを落とさずにテンポ良くいきましょう」

最初は緩やかだった登りが、途中から一気に登るトレイルへと変化して牙を剥いてきた。ストックを使って一歩一歩踏みしめるように登ってくるキタノさん。うるさいだろうと思ったが、何度もペースを落とさないように声をかけた。

途中で本当にきつそうになってきたので、iPhoneで仕込んでおいたロッキーのテーマをかけた。イワクラマイラーチームに入った時、最初の宿題はロッキーを見てくることだった。あの練習を乗り越えてきたことを思い出してほしかった。でも半分は自分を奮い立たせるためにロッキーを流していたのかもしれない。よろよろと歩みを止めずに登ってくるキタノさんはまるでゾンビのようだった。夜明けのロッキーゾンビショーは永遠に続くかのように思われた。

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夜が明けてきたニュウ(乳)への登りは苔蒸す森で本当に美しかった。下ってくるイワクラのランナーとすれ違い、かなりピークに近づいたかなと思った時に、降りてくる北斗&設楽ペアとすれ違った。彼らは自分たちよりも1時間以上先に出発していた。ということは差がかなりつまっているという事だ。これは、本当に完走できるかもしれない。いや、完走するんだ。

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登り続けると程なくピークにたどり着いた。ピークにいたスタッフに間に合うかと聞くと、下りをしっかり走れば間に合うかもしれないと言われる。すぐに折り返して下る。キタノさんは決して速くは無いが、下りは走れていた。これは行けるかもしれない。小まめに振り返って声をかけながら引き続けた。

 

登りは長く、下りは一瞬。あっという間にロードまで戻り、ここも気が緩んで歩かないように走り続けた。稲子湯エイドに戻ってきたのは午前7時半だった。関門の9時まであと1時間半。コースマップで距離を確認すると大体残り12キロほどだった。ここから先は長いロードの登り。歩きでは間に合わないけど、走ればまだ望みがあるかもしれない。足がぼろぼろなのはわかっていたけど言った。「キタノさん、走れば間に合います。最後の上り坂、全部出し切ってください。」

 

気が遠くなるような長い登り。キタノさんはストックをつきながら歩き走りを繰り返す。僕は振り返りながら手を叩いて歓声を送る。呼吸を荒げながらも歩みを止めないロッキーゾンビは最高にかっこよかった。

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永遠に続くかのように思われた登りがようやくフラットになり、下り始め、その先に本沢温泉エイドが見えた。「あと6kmです」。時計を見ると残り1時間だった。キロ10分で進めば間に合う。完走できる。「キタノさんやりましたね、間に合いますよ!」。二人で下りのトレイルをひたすら走った。歓喜の走りだった。遠くに町が見えた。

 

ようやく最後のロードに出た。残り時間は20分。少し長いロードの登りもあったが、なるべく歩かずに最後まで走る。遠くで会場のアナウンスが聞こえてくる。

 

最終関門に近づくと、5週目に出ていくランナー達とすれ違う。あと7分だから間に合うよとか、頑張れとか、声をかけてくれた。

 

そして最後の登り坂。スリーピークスの松井さんやマイザックが応援をしてくれた。登る。最後のストレート。なおちゃんが叫びながら出てきた。やったよ。間に合ったよ。泣けた。関門ラインを通過した。8時55分。関門の5分前だった。

キタノさん、最後まで諦めないでいてくれてありがとう。

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ここまでが今回のKOUMIのハイライトだ。

5周目は特に語るべき事はない。同じようなロッキーゾンビショーが繰り返されただけだ。


キタノさん、4周目で全部出し切れと言ったのにすぐに5周目に連れて出して、余裕が無いのでまた走らせて、エイドでもラーメンすら食べさせずにごめんなさい。キタノさんがゴールしたのは16時30分。ありがとうキタノさん、こんな素敵なドラマを見せてくれて。

あなたと一緒に走れて本当に良かった。心からありがとう。

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<レース後>

終わってみれば実に完走率は20%強という過酷な大会であった。

 

ペーサーとして走った4周目は区間順位12位という結果に驚いた。北野さんの復活劇はすごかった。

 

ロッキーをリピートしすぎてiPhoneが壊れた。

 

人のために走る事がこんなに嬉しいなんて。

 

後でランボーのサポートメンバーも応援をしてくれていた事を聞いた。嬉しかった。

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さて来年出るか、応援するか、一年かけて悩むとしよう。

 

#koumi100 #セカキタ #岩本町trc

信越五岳2018 100マイル完走記

信越五岳100マイル(2018.09.15〜16)

 

17年は雨で短縮になった信越五岳。100kmでもうお腹いっぱいだと思った。でも気づけば100マイルにエントリーをしていた。

 

今回のテーマは「100マイルを日常に」。気負わず、気張らず、リラックスして最後まで行きたいなと思った。その理由は、目標タイムを作った時、それぞれのエイドでの残りタイムが1時間前後しか無かったからだった。何か1つ歯車が狂えばDNFになりかねない。でも何もトラブルが起きなければ制限ギリギリでも完走は出来るはず。だからこそ、制限に追われて焦って潰れるという展開だけは避けたかった。


前日に10時間近く寝て、おまけに仮眠2時間ほどできたので、睡眠は十分すぎるほどとった。体調も良好で、リタイアの理由も見つからないなんて思いながらスタート会場へ向かう。

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スタートは19:30。昨年はコース短縮になった事で飛ばしてしまい50km地点のアパまででバテてしまったので、今年は絶対にゆっくり入ると決めていた。ゲレンデの緩慢な上りを歩きも入れながらゆっくり進んでゆく。ゆっくりのつもりが、前半は心拍155くらいに上がりいつもより少し心拍が上がりやすい気がした。

最初のウォーターエイドではポカリを水で薄めて満タンにしてすぐに出発した。ここから先は最初の上りの斑尾山だ。登りは出来るだけ筋肉に負荷をかけないように、スッスッと体を持ち上げていくイメージで登り、しばらく行くと試走で見覚えのある山頂に出た。そこからの下りも見覚えのあるゲレンデへ続く下り。後ろのランナーがプッシュしてきても気にせずに、特に下りは丁寧に降りていった。下り切ると24km地点、最初のエイドバンフに到着した。北斗くんやともちゃんが声援を送って迎えてくれたのがうれしかった。「調子はどうですか」「まだ序盤だからね」そう答えて、メダリストを満タンに補給してぬれせんべいを食べてすぐに出発した。


そこからは信越らしい夜のシングルトラックが始まる。このあたりまでくると前後のランナーも同じペースの人になり淡々と進んでいった。風景に引き寄せられて眠っていた昨年の記憶が蘇ってくる感じが心地よい。時折小雨が降ってくるが、夜の山の雨はやはり嫌いではない。僕と森との間を、雨が繋いでくれるような一体感を感じる。


途中でイワクラの虎山さんとすれ違う。泥でスリップしていたが、まだまだ元気そうだ。このあたりで若干左膝に違和感を感じることがあったが、気のせいと言い聞かせてもくもくと進む。そうしているうちに37km地点の赤池エイドへ到着。時間は1時過ぎで、昨年よりもゆっくりと入ったつもりが赤池到着は昨年とあまり時間が変わらなかったので安心する。エイド手前の急な下りを小学生くらいの子供が誘導してくれた。テントではブルーシートで寝転んでストレッチしている人もいた。僕もレインをザックに収納して、椅子に座って軽くストレッチして、気持ちを引き締める。さあここからが昨年きつかった長いセクションだ。しっかり補給をして出かけよう。


赤池を出るとしばらく登りがあった後に、長い下りのパート。途中で40kmの表示が出てくる。ようやく1/4だと思うと茫然としたが、一方でここまでノートラブルで体力も充実しており、今回は完走出来るのではないかという確信が少しずつ湧き上がってくる。

多くのランナーが闇の中をただ進む。それは自己と他者の境界を曖昧に感じさせ、自分は大きな意思で進んでいる何かの一部であるかにすぎないような感覚を覚える。

下り切ると見覚えのある川沿いマンション横の叢に出て、長い垂直な階段をライトの列が天へと登っていくのが見えた。さあいよいよここからが昨年の鬼門、アパエイド前の山だ。昨年はここでかなり体力を削られてしまったので、今年はなるべくセーブしながら登っていった。

後ろでオエッと吐きそうになる声が聞こえる。この距離で内臓をやられてしまうと先がきついだろうなと思いながら、登っていると、後ろからオエーが離れない。むしろ近づいてくる。ペース上げすぎだから落とせばいいのにと思いながら、暗闇で背後に迫るオエーオエーに怯えながらを山を登っていった。視界が開けてゲレンデに出る。いつしかオエーは消えていた。丁寧にゲレンデを下り続けるとようやくアパリゾートの光が見えてきた。午前4:55、56km地点のアパリゾートへ到着。


アパリゾートではイワクラメンバーが大歓声で出迎えてくれてうれしかった。ドロップバッグを受け取り、秘密兵器のカップヌードルカレーBIGにお湯を入れる。こまめにエイドでも固形物を食べていたのであまり空腹感は無かったが、ここでもしっかり食べた。ペーサーの北野さんがここまで来てくれていて元気そうですね、と声をかけてくれた。しばらくすると設楽さん到着。少し表情がきつそうでマッサージをしてもらっていた。こっしーさん、ゆーすけさん、しんさん達はかなり前に行ったらしい。なおちゃんもずいぶん前に通過したそうで調子よさそうだ。

昨年と同じくエイドにいる間に空が白んでくる。常に昨年の自分の状態を思い出して比較していたが調子は決して悪くない。ずっとマフェトンペースを維持出来ているので疲労感も無い。食べれている。前回UTMFで初投入した粉飴ジェルのグレープフルーツジュース割りも調子がよくて、吐き気を催すことが無い。二本目の500mLボトル入りジェルをザックに入れて、エイドを出た。

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明け方のトレイルを行きながら、昨年はアパの直後が疲労感で走れなかったことを思い出す。今年は疲れはまだない。明け方のトレイルを淡々と進むとすぐにヘッデンがいらないほど明るくなってきた。トレイルを抜けると見晴しの良い田園地帯へ出て、朝の黄金色の稲穂の間を淡々と進む。ここからが最も長いロードのパートだ。ロードでは赤のエクストレイルに乗った石川さんが通りがかりに声援を送ってくれた。

しばらく進むと川沿いに降りて、前のランナーに登りですかねと聞かれたので、はいここから長い登りです、と答えて前を行かせてもらった。昨年は長すぎる川沿いの登りが苦痛だったが、今年はしっかりと走れたので何人かランナーを抜いて進んだ。川を上り切ると再びロードの登りに出て、民家の窓から子供が声援を送ってくれたのが嬉しかった。用水路の脇を抜けて林道を進むとようやく遠くに青少年自然の家が見えてきた。7:45第二関門の71km地点、青少年自然の家に到着。昨年より15分ほどタイムを縮められた。


然の家にも北野さん、神野さん、北斗さんたちがいてくれて声援を送ってくれた。いやーしつこい登りだったよと少し愚痴をこぼす。ずっとサポートしてくれて、寝なくて大丈夫なの?と聞いたら、仮眠とったから大丈夫とのこと。本当にありがたい。ユースケさんもエイドについてトマトスープを食べていた。アパを出た後に40分くらいロストをしたらしいく大変そうだった。昨年はスープの酸味で気持ち悪くなりこの後のセクションで吐いた事を思い出し、シャリ玉を何個か食べて、トマトスープを少し口に含んだがやはり危なそうだったので飲まずにおいた。なぜか肩がパンパンに凝っていたので、北野さんにお願いして肩をもんでもらって助かった。エイドで寝ていたちゃんぷさんとスースーさんが起きてきた。足がベタベタしてきたので水道で洗って水を頭からかぶってスタートした。


ここから先は長いゲレンデの登りセクションだ。淡々とゲレンデを登っていく。登りの途中にレストハウスの自販機があり昨年は暑かったのでここで補給をしたことを思い出したが、今年は体も動いているのでパスしてそのまま登っていった。しばらく登ると先にエイドを出たユースケさんとキリアン沢田さんと一緒になった。声をかけて少しだけ先を行かせてもらう。

途中から昨年と変わり藪を切り拓いた新コースに入り、沢を越えるシングルトラックが続いた。途中でちゃんぷさんが抜かして行った。さすがに強いなと感心する。ところがその先の下りではまたちゃんぷさんに追いついてしまう。豆が潰れてとても痛いらしく、下りがきつそうだ。挨拶をして先を行かせてもらった。この後何度もちゃんぷさんに登りで抜かれて、下りで抜き返す、を繰り返すことになる。

何度かゲレンデを横に抜けてだらだらとしたロードを行くと、いよいよ最後のゲレンデ直登が出てきた。一歩一歩しっかりと登っていく。終わらない登りはない。厄介だが、辛くはない。そんな事を考えながら登るとピークに出て、視界の開けたゲレンデの高級ホテルの横を下っていった。10時50分過ぎに89km地点、赤倉観光リゾート到着。さあ待望のラーメンだ。


蟹味噌のラーメンは美味しかった。しっかり汁まで飲み干して、トイレを済ませて出発した。さあいよいよペーサーの待つ黒姫だ、北野さんが待っているぞ。川沿いのロードを進んでしばらくアップダウンのある林道を進み、いくつかの山を越えるとスキーの宿が立ち並ぶ杉沢の集落に降りてきた。杉沢の分岐ではふらふらさんこと佐々木さんが交通整備をしていて、写真を撮ってくれた。「この先のランナーで結構へばっている人多いから、マイペースで行けばまだまだ抜けるよ」と言ってもらえて元気が出た。

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集落を抜けると川沿いに降りる。ここから110kmのランナーとの合流地点だ。110kmのランナーは緩やかな登りでも歩いている人が多く、それを見ると空元気で思わず走ってしまう。まるでキャノボのPOWERでSPEEDのランナーを追い抜くときの気分だ。しばらく川沿いを登ると私設エイドに到着。可愛い子供がコーラを入れてくれたり、瑞々しい梨や西瓜が振る舞われて、何よりスポーツ麦茶じゃないリアル麦茶があったのが嬉しかった。スポーツ麦茶はしょっぱくて美味しくなかったんだよな。

エイドを出て登りを行くと、見憶えのある走れるトレイルに出た。気持ちよくトレイルを走っていると前方に緑のTDTキャップをかぶった人が歩いていて、こっしーさんだった。あの強いこっしーさんが歩いているなんて。声をかけると、膝が痛くて50kmくらい歩いてきたとのこと。その強靭な精神に驚く。黒姫でマッサージして休めば大丈夫ですよ、と声をかけて先を行かせてもらう。黒姫到着予定は早ければ13:00~13:30かなとメッセンジャーで連絡したが、そんなに早く着くはずも無く、訂正メッセージを北野さんに送る。結局黒姫に到着したのは13:50頃になってしまっていた。

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102km地点の黒姫エイドではイワクラメンバーが大歓声で迎えてくれて、めちゃ嬉しかった。自分がトップランナーみたいに錯覚してしまう。ご丁寧に椅子を確保してくれていて、座らせてくれた。王様気分だ。北野さんがポットにお湯を入れてくれていて、和風のカップ麺を食べさせてくれた。このエイドではお湯が無いと思って諦めていたのでほんとうにうれしかった。長田さんがいろいろと世話を焼いてくれた。水を入れてくれたり、ゴミを捨ててくれたり助かった。牧さんが肩をもんでくれた。これもめちゃくちゃ助かった。神さんが強いねーと褒めてくれたのも嬉しかった。ゆかりさんが声援を送ってくれた。むらむらさんも元気そうだと言ってくれた。そんな風にみんなに沢山力をもらい、SUUNTOの充電が限界なのでDBからバッテリーを接続して、3本目の500mL粉飴ジェルをザックにさして、ペーサーの北野さんと黒姫エイドをスタートした。

出がけに「朝飯前朝飯前!」と声援があった。そう、I eat 100miles for breakfastだぜ!

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北野さんに少しだけ前を行ってもらいながら、緩やかで長い林道の登りを行く。なかなか大変だったが北野さんが引っ張ってくれたので頑張れた。ようやく上まで行くと緩やかな下りとトレイルに入ったが、北野さんの引っ張り具合は絶妙で、とても気持ちよく走ることが出来た。気持ちよく下ってランナーを抜いていると、「この先渋滞なので急がなくていいです」という誘導員の声。ここで想定外の事態が発生、吊り橋渋滞だ。すぐに抜けるかと思っていたが、40分くらいは足止めをくらったように思う。

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2人ずつ行かせるのでかなり時間がかかっていて、誘導員が関門タイムの延長を電話で相談していたが、無理そうだという情報も入ってくる。行列の後ろには設楽北斗ペアも見えた。関門には余裕もあったのでそこまで焦りは無かったが、後半のランナーは大変だろうなと思った。ようやく吊り橋を渡ると、急な登りから美しいトレイルに入る。吊り橋からのこのコースはロッキンベア黒姫でも走ったコースなので安心感はあった。タイムロスしたこともあって頑張って緩やかな登りは走りながら行くと、ようやく第四関門の113km地点、笹ヶ峰グリーンハウスに16:50頃到着。


笹ヶ峰では北野さんが素早くとってきてくれたカレーをかきこんで、すぐに出発した。ランボーの桑原さんが声をかけてくれていて、ここでこのタイムなら絶対最後まで行けるよ!と声をかけてくれてうれしかった。

そこから先はこれもロッキンベアで見憶えのある牧場だ。北野さんに先行してもらいながら、クロカンのコースのような牧場の中のトレイルを進む。しばらく行くとダムに出て、ダム横の長い階段を登りきったところで暗くなってきたのでヘッデンをセットした。さあ二晩目の始まりだ。

そこからしばらくは淡々と進んでいった。次第に暗闇になり、北野さんの後をついて淡々と進んでいくと、声をかけられて優子さんのペーサーのぐっさんだった。この暗闇で横をすれ違っただけでよくわかったものだと感心して振り向くと、真っ白な顔をした優子さんがそこにいた。表情が無い。強烈な眠気に苦しんでいるようだった。かなり気持ちも弱ってきつそうだったが絶対ゴールへ行けますよと北野さんと二人で元気に励まして先へ進んでいった。

そうして淡々と進んでいくと126地点の西登山道入り口のウォーターエイドに到着。ほどなく優子さんたちも到着、さっきよりは元気になっていたので安心をした。ここから先は一山登りがあるが、次のエイドは5kmほどだ。大丈夫だろうとすぐに登りに入ったが、後々その考えは甘かったことに気づかされることになる。

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トレイルの登りは泥沼だった。ここまで何度か泥地帯があったのだが、この山の登りは酷かった。トレイルが足首まで浸かる沼のようになっていて、最初はトレイル脇を避けて進んでいたが、何度か泥に落ちるうちにもう無理だとむしろ積極的に泥の中へ足を踏み入れていった。ところがこの粘土質の泥が重たく絡みついて、靴が脱げそうになる。最近は靴ひもを締めないスタイルできたのだが、この時ばかりは靴ひもを締めておけばよかったと後悔した。しかも泥水の中に足を踏み入れると、水と一緒に靴の中に小石が入ってくる。それが足裏に入って痛いので、何度か止まって石を取り出した。

そんなストレスだらけの山道を何とか登り切って、ようやく下りに入ったがこちらもぬかるんでいて下りを攻めるという気持ちが完全に折れてしまった。後方から聞き覚えのある声が聞こえた。北斗設楽ペアだ。下りを猛スピードでぶち抜いて行った。抜かれた悔しさよりも清々しい気持ちになり、元気になった2人にこちらまで嬉しくなった。「僕らは僕らのペースで行きましょう」北野さんの優しさも嬉しかった。「大橋林道まで行ったらお湯があるのでカップヌードル食べましょう」


131km地点大橋林道エイド、20時過ぎに到着。ここまでの5kmは長かった。北野さんがもっていてくれたカップヌードルを食べていると優子さん達も到着。あの泥沼を良いペースで来ているのを見て、2人の完走も確信した。ここから戸隠までの12kmは大きな山は無い。第五関門の制限時間は0時、このペースで行けば間に合うはずだ。


エイドを出てフラットなトレイルを進む。足元は滑りやすい木道や舗装の道があって、走りにくいパートだった。それでも先を行く北野さんが細かい路面の状況をいちいち教えてくれ、ハンドライトでトレイルを照らしてくれているので助かった。しばらく進むと暗闇の中に真っ赤な鳥居が現れた。鳥居のトンネルをくぐって行くと、この世では無いどこかへ連れて行かれるような感覚になった。


22:50頃、143km地点戸隠スキー場エイド到着。最後の大きなエイドで、北野さんが遠くから蕎麦を取ってきてくれた。甘酒も飲んだが美味しかった。

残り17kmを4:30で行けば良いのだ。大丈夫だろう。エイドにいる人達にも安堵の表情が見えた気がした。そう、この時はまだこんな風に思っていたのだ。


23時過ぎに戸隠スキー場エイドを出発。あとはラスボスの瑪瑙山を越えるだけだ。お願いだからあの泥濘は勘弁してくれ、そんな願いも虚しく無情に登りの泥道が始まった。泥に足を取られてうまく登れない。何度か足首まで泥に突っ込まなければ行けないトレイルを通り、気怠い登りを行くうちに、何もかもが嫌になって来た。まるで勝ち目の無いベトナム戦争みたいだ。歩みが重く、後ろに渋滞が出来るのでトレイル脇に避けて沢山のランナーを先に行かせてやった。

ノロノロとした歩みを繰り返ししていると、ようやくなだらかな下りのトレイルに出ると、前方に明かりが見えた。「瑪瑙山山頂まであと1.1km!」やはり頂上はまだ先だった。

心が折れそうになりながらも、歩みを進めた。巨大なゲレンデに亡者のようなヘッデンの列が続いていた。自分もその列に入りひたすら体を持ち上げる。右、左、その繰り返し。みぎ、ひだり、みぎ、ひだり


終わりのない登りは無かった。ようやく瑪瑙山山頂に到着。しかし安堵の気持ちは無かった。さっきの山のように下りも泥濘んでいたらどうすれば良いのだろうか。その心配は杞憂に終わり、下りはとても下りやすいゲレンデだったので、北野さんと安心して声を掛け合いながらスムーズに降りる事が出来た。


そこからあと一山あることはわかっていたが、大きな山で無い事はわかっていたのでここからはペースを上げたかったが、トレイルは大勢の人で渋滞していた。瑪瑙山で予想以上に時間をかけてしまったので焦って前へ行きたいが、渋滞が酷くて進めない。焦ってタイム表を見ようとした時に、足元の大きな石につまずいて大きく転倒して谷底へ転げ落ちそうになって、前後のランナーが助けてくれた。全く焦り過ぎだ。


程なく小山は終わり下りになって最後の153km地点飯綱山登山口エイドに午前2時前到着。残り7km、あと一時間半あるからゴール出来る気はしたが何が起こるかわからないので一刻も早く終わらせてしまいたかった。ヘッデンの電池を明るくして、北野さんに声をかけて最後の疾走が始まった。


下りと聞いていた最後の林道は、少しガレて緩やかな登りだった。北野さんはぐいぐい走って引っ張ってゆく。自分は必死に食らいついて行く。まるで練習会の皇居ペース走みたいだった。登りで歩くランナーを次々と抜かしていく。抜く。抜く。抜いては抜く。110kmのランナーが声援を送ってくれた。緩やかな登りは長く続いてなかなか下りにならなかった。途中で流石に北野さんに着いて行けなくなり「北野さん、9割5分で!」と言ったら歩いてくれた。でもまた走った。


そのうち恒例の二晩目の幻覚が出てきた。あり得ない山の上にヘッデンの明かりが見えたり、先を行くランナーが明るい小屋に立ち寄っていたり。もう慣れたものなので、はいはい幻覚ね、と構わず走っていた。


そのうちようやくフラットな所に出て、再び登った後はいよいよ下りの林道になった。北野さんと走る。北野さんと抜く。抜かし際にランナーが「走ってるのみんなマイルの奴らだ、すごい」と言っているのが聞こえた。遠く下った先に誘導員の光が見えた。「幻覚じゃないよね!」と言いながら誘導員の指示通り左に下って行く。


僕は叫ぶ「北野さん、ありがとう!」

北野さんも叫ぶ「どういたしまして!」


北野さんが、遠くで声援が聞こえると教えてくれる。

僕には幻覚なのかどうなのか、よくわからない。


トレイル脇に旗が立っていた。

その旗を通り過ぎると、ゲレンデの丘の上に出て、眼下には輝くゴールゲートが見えた。


北野さんと手を繋いでゲレンデを降りる。


何人かランナーがゴール待ちをしていた。

前のランナーがゴールテープを切ったのを見届けて、北野さんと手を繋いでゴールゲートをくぐった。

 

31時間19分37秒。北野さんありがとう。

 

〈レース後〉

最終関門からゴールまで、実に90人を抜いていた。どんだけー

 

100マイルでのペーサーは初めてだったけど、ペーサーって偉大。少し厳しく引っ張ってもらえると、頑張っちゃうね。

 

マイルの完走率は48%くらいだったらしい。ゆっくりでも走り続けないといけない、しかも何か1つ歯車が狂うと完走出来ない関門設定はやはり甘くなかった。

 

ゴールしてバスで長時間移動して宿に戻って風呂に入ったら朝の6時だった。ゴールした後の方が疲れた。

 

表彰式でバッコーもらえたのは、やっぱり嬉しかった。

 

妙高駅前の酒屋のベンチでビールを飲みながら見上げた青空が忘れられない。

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#信越五岳 #信越五岳100mile #信越五岳100マイル #岩本町trc

 

UTMF2018 100マイル完走記

UTMF Ultra Trail Mount Fuji (2018.4.26-27)


思えば2年前、スタート直前に聞いたコース短縮に、崩れ落ちる思いだった。あの時の絶望感。しばらくは富士山を見たくなかった。夕暮れの駐車場で見上げた富士山の姿は忘れない。

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だがしかし、全ての事が今日の日のためにあったのだという事が、今ならわかる。今年が最初の完走で、本当に良かった。そんな2018年のウルトラトレイルマウントフジだった。

 

スタート地点

新幹線とバスを乗り継いでこどもの国についた。昼前に着く遅めの便にしていたので10時間ほど眠る事が出来た。スタート地点ではSTY選手がスタート待ちをして、開会式が始まっていた。さすが国内最大の大会、華やかでフェス感がある。初めてSTYを走る優子さんに会うとチーズのプレゼント。九州から戻ってきたイチョムラさんも元気そうだ。みんなのスタートを送り出して、ゼッケンをもらい装備チェックを受けて岩クラメンバーのもとへ行き、装備を整える。天気は曇り空で意外に肌寒い。のんびり牛飯なんぞ食べていたら、荷物預けが14時だったので焦る。タイムチャートを無くして焦ってその場で作るというようなバタバタもまたご愛嬌だ(結局ザックのポケットに入っていたのだが)。スタート地点で岩クラメンバーで写真を撮って気分も盛り上がってくる。さあ、長い旅の始まりだ。

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スタート~A1富士宮

カウントダウンからいよいよスタートだ。もみくちゃになってゲートを通ると、左側に4thのメンバーが居て声援を送ってくれた。しばらくロードを登って行く。そういえば2年前は大雨の中この道を登った事を思い出す。あの時は前日のMFで爆走(ヤケ走り)をしたため足に痛みを抱えながら、STYも走れる事になるなら無理をするんじゃなかったと後悔をしながら、ゆっくりとこの道を行ったんだった。しばらく行くと林道に入る。心拍を見ながら上がり過ぎないようにペースをキープするが、いつもの心拍計エラーで高めの表示になってしまったので、感覚でマフェペースで走っていった。

林道の向こうから「エンジョイ!エンジョイ!」と甲高い声で叫びながら歩いてくる全身ピンクのサイコなお婆さんがいて、すれ違うと増田明美だった。次第に汗ばんで、スタート地点で寒いのでザックの下に羽織ったパワーグリッドを脱ぎたくなる。粟倉のウォーターエイドに着く前にパワーグリッドを脱いで、身軽になった。さあ行きまっせ。粟倉を出ると送電線の下のトレイルを往く。細かなアップダウンを繰り返しながら進んでいくと、思ったよりはかなり早く17時30分過ぎにはA1に着いた。富士宮なので焼きそばを期待していたら無かったのでがっかりしたが、持ってきたパンにトレイルバターをつけて、オレンジとバナナを頬張る。天子のために予備の水をいろはすペットボトルでザックに入れて(結果これに助けられた)、岩クラのメンバーに挨拶をしてエイドを出た。さあいよいよ最初の山場、天子山地だ。

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A1~A2麓 50km

しばらく町中を走って行くと、見慣れたトレイルの入り口が出てくる。天子山地だ。ここで足を使うと後半絶対に厳しくなるので、絶対にマフェペースで行こうと心に決めていた。次第に足下が見えなくなってきたのでヘッデンをつける。心拍計もようやく正常値を示すようになってきたので、140台を超えないようにマフェペースで登って行った。

谷状のトレイルをしばらく登ると一旦ロードに出て、そこから本格的なトレイルに入る。一度トレイルを登りかけたがロードに戻り直してアミノ酸を補給して気持ちを落ち着ける。さあここから本格的な登りだ。登りのトレイルは緩い渋滞だったがペースとしてはむしろ有り難かった。1時間毎にジェルを補給するのを忘れないようにした。中国人選手や欧米系も多かったが、やはり登りは外国人は速い。マントラのように独り言を唱え続ける欧米人もいて何を言っているかはっきりはわからなかったが、なんだか面白かった。焦らないように、常に心拍をチェックしながら、抜いてもらいながらゆっくり上がっていった。脳内ではストーンズのLoving Cupが何度もリピートする。もう何百回何千回と聞いてきた曲なので、ヘッドホンなんか無くても、一つ一つの楽器が手に取るように頭の中で鳴っている。

しばらく登った末に緩やかな尾根に出た後に、本格的な登りが始まる。天子は何度かピークを通過しないと最後の熊森山には到達しない事がわかっていたので、気持ちを長く構えて、ひたすら目の前の坂を登っていった。さすがに天子への登りは急登で、斜面に座り込んで休憩をしている選手も出てきた。あとSTYの最後尾の選手達を抜くようになったのもこの頃からだった。途中から急登のロープなどを通過して、ようやく最初のピークに出る。山頂は寒さを心配していたがそこまでではなくTシャツとアームカバーで十分だった。そして何度かの登りを繰り返して長者ケ岳に辿り着いた。たしかここが山頂セクションの中間地点だったはず。まだ先は長い、焦らずに行こう。結構な下りが始まると、ああまた下った分登らないといけないのかとブルーになる。なぜなら下った先にヘッデンがまた列を成して縦に見えるのだった。とにかく無心で進んでいく。何度か登った先に見覚えのある小屋が見えて、暗闇から池田さんが声をかけてくれた。「良いペースだよ」。ペースが遅すぎるかと少し焦りもあったので本当に安心した。写真をとってもらい、「ここから熊森山はすぐだよ。あとエイドまで2時間くらい」と送り出してもらったのだが、ん?2時間?と思っていたらやはり全然すぐじゃなかった笑。まだかなーと進んでいるとようやく熊森山について、そこから本格的な下りパートに入った。試走の時はガレた苔石の下りが走りにくかったが、正式コースは比較的下りやすかった。

しばらく下りて行くとようやくロードに出る。ここからエイドまでがまだ距離がある事はわかっていたので、焦らず飛ばさずロードの下りを下りて行く。この頃にらソフトフラスクのスポドリ2本をほぼ飲みきって、予備のペットボトルの水が美味しかった。途中水場で列が出来ていたので、水切れギリギリのランナーも多かったのだと思う。そして再びトレイルに入り、何度かのアップダウンを繰り返した後にようやく麓エイドについた。23時30分。前のエイドを出てから実に6時間近くがかかっていた。

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A2~A3本栖湖 65km

麓エイドには先行した岩クラメンバーが沢山いた。僕より全然早いランナーがまだエイドにいたり、胃腸トラブルで潰れていたり、やはり天子は恐るべし悪魔の山だ。エイドでは富士宮焼きそばをふるまっていたので、3杯お代わりをした。磯さんがエイドに駆けつけてくれた。「まだ行けるでしょ」。そうですね、まだ50km地点、まだまだ序盤ですものね。「きららで待っているから」と言ってもらい、エイドを出た。

エイドを出ると強烈に寒かったので、パワーグリッドをザックの上から羽織って震えながら進んで行った。右手に真っ黒な富士を見ながら、肥料の臭いがしたので多分農場なのだろうか、広い高原の横を進んでいった。このあたりから歩いているランナーも増えてきたので、ジョグで抜かしてもらいながら進んでいく。しばらくだらだらと行くとトレイルの入り口にきた。このパートは試走をしていない初めてのパートだ。確か偽ピークがあったというような事を聞いた気がしたので、期待しすぎないように進んでいった。割としっかりした登りを行くとピークらしい峠に出た。ここでMFとSTYでコースが分岐していたが、MFはもう一段登らなければならない。我慢の登りで進んでいくとようやく竜ヶ岳に到着。

真っ暗だが眺望が開けて、向こう側に町の明かりと本栖湖が見えて、夜なのに絶景だった。話に聞いていた通りITJのような笹に囲まれたシングルトラックで、夜走っても気持ち良かった。笹トレイルを下って行くと本栖湖湖のロードに降り、しばらくロードを走ると向こうに本栖湖エイドが見えた。2年前には逆方向の山から下りてきた見覚えのある本栖湖エイドに、今回は登りながら到着した。2時48分。

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A3~A4精進湖 77km

本栖湖エイドではほどなく北野さん、なおちゃんが到着。なおちゃんは眠気が来てペースダウンしたらしい。ここのエイドでは湯葉丼があったので何杯もおかわりをした。そういえば2年前はここのエイドで湯葉丼も売り切れて、水くらいしか無くて野戦病院みたいだった事を思い出した。米を食べると腹に力が入る気がした。休みすぎないように補給を済ませるとエイドを出る。ここからはいきなり登りだ。さあ次のエイドには仲間が待っている、絶対に辿り着くぞ。

烏帽子岳まで登ってトレイルを進むと、次第にトレイルが白んでくる。聞き覚えのない鳥のさえずりが聞こえ始めて、ああなんて美しいと聞き惚れながら進んでいく。求愛の声だろうか、呼びかけと応えが交互に木霊する。鳥の声を美しく創造する必要はあるのだろうか。なぜ自然は美しく創られたのか。そんな事を考えながらトレイルを進んで行った。

ちょっとした岩場登りを経て烏帽子岳へ出た。トレイルを朝焼けが照らして本当に美しかった。そして唐突に視界が拓けてパノラマ台に出た。目の前には夜明け前の巨大な富士山。その手前に広がる樹海。何という荘厳さだ。思わず声がもれた。夜明け前の最高のタイミングでパノラマ台を通過本当にラッキーだと思った。写真撮影をして、そこから下りに入って行った。下り切るとしばらく平坦な明らかにこれまでとは違う感じのトレイルに出た。いよいよ富士の樹海に入った。並行してロードが走っているようだ。前を走る外国人ランナーにあとどれくらいでエイドかと聞かれたので、2、3kmくらいかなと答えると、そんなにあるのかと言われた。ほどなくロードに出てスタッフに「あと500m」と言われた。ごめんね。間違ってました。そしてほどなく精進湖エイドについた。エイドの手前で岩倉メンバーが「塚田さん!」と声をかけてくれて、ドロップバッグのゼッケンメンバーを読み上げてくれた。5時53分到着

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A4~A5勝山 94km

本栖湖エイドでは大歓声で迎えてくれた。星野アニキと島田さんが「イエーイ!」とハイタッチで迎えてくれた。虎さんがドロップバッグを渡してくれた。ドロップ係の北斗さん設楽さんも元気そうだ。エツコちゃんもフードスタッフで笑顔だった。みんなに迎えられて本当にうれしかった。椅子に座って食べ物を取りに行くと、牧さんがカップヌードルを持って歩いていた。そうか、その手があったか!ドロップバッグにパンではなくカップ麺を入れておくべきだった、大失敗だった。仕方なくお湯でパンを流し込んだ。なぜお湯が飲みたかったのかわからないが、少しでもカップ麺の気分になりたかったのだろう。先で合流する仲間のサポートチームにメッセンジャーで「出来ればカップヌードルを食べたい」と伝えた。岩クラ色紙にメッセージを書きこんだけど、キーちゃんやシンさんのタイムが速すぎてびっくりした。一方で意外なメンバーが潰れていたり、いよいよ100マイルのドラマが始まったという感じだった。結局ウェアもシューズも変えず、ジェルだけ後半用の粉飴に変えて、岩クラメンバーに大声援で送られながらにエイドを出た。

エイドの外にVibram香港で出会った高齢のランナーがサポートをしていて、少し会話をしてからトレイルに向かう。トレイルは樹海だった。例のデッドポイントはすぐにわかった。横を通過しながら体の前でそっと手を合わせた。ほどなくロードに出る。ここから長いだらだら登りだ。歩きで登りながら走れるところはジョグでゆっくり登っていった。試走を思いだしながら富岳風穴のところまで来て麦茶を自販で補給するとまたロードを先に進んだ。ようやく鳴沢風穴まで来て、ゆっくり坂を登って行くと、売店でミーシャの包み込むようにが流れていて、感受性が敏感になっていたのだろうか、何でもない曲に心が震えて聞き惚れた。鳴沢からは樹海トレイルを少し走ると国道の下をくぐってようやく紅葉台の入口に到着。試走を思い出して「おお来たー」と思わず声を漏らすと、スタッフがいて「84km、中間地点です!」と教えてくれた。ようやく半分まで来た。まだまだ体は大丈夫だ。ここからの紅葉台は高さも無く気持ちの良い区間だったはず、リラックスして行こう。

随分日が昇って明るくなってきたトレイルを登っていく。左手には西湖が見えた。確か試走ではこの先にものすごい眺望の高台があったが、コースは高台は通らずに足和田山を通過して、次第に下り基調のトレイルになっていった。長い下りを行くと、右手に絶景の富士山が見えた。2年前はこのトレイルを逆に登りながら左手に見えた富士山をはっきりと覚えている。雨でコース中断と発表があったのに、富士山がくっきり見えて、なんで中断したんだ、こんなに天気が良いなら最後まで行けるじゃないかと思った事を思い出す。その後荒天になり考えが甘かった事に気付かされたのだが。

ようやく目の前に河口湖が見えてきた。寺の境内を通り、少し登り返しを経てようやく河口湖畔のロードに出た。随分気温も上がってきたロードを走りながら町中をしばらく走り、地下道をくぐって目の前に富士山を見ながら、ようやく9:30頃に勝山エイドに到着。

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A5~A6忍野 113km

勝山エイドには4thラントライブのむらむらさん、優子さん、ぐっさんが待っていてくれた。優子さんにSTY完走おめでとうを伝える。椅子に座らせてくれたり心遣いが嬉しい。そしてついに念願のカップヌードル!めちゃくちゃ美味くて体中に元気がみなぎってくるのがわかった。おにぎりもほおばる。ぐっさんがジェルやら菓子パンやら沢山並べてくれたが、もうこれだけでお腹いっぱいになったので、ジェルだけいくつか追加でもらっておいた。暑くないか?アイシングする?と気を使ってくれたが、まだ特に疲労感も無かったので大丈夫ですとありがたくお断りして、A8のきららで会いましょうとエイドを出た。

勝山から忍野までは最も山の少ない高低図だったので、気持ちも楽だ。ロードの緩やかな登りをジョグで行きながら、途中で左手に富士急ハイランドのコースターが見えるロードを進んでいく。家族と来た一年前の富士急を思い出す。いまGWに富士急にいる若者たちも遊び疲れたりするんだろうか。そんなどうでも良い事を考えながらロードを進んで行った。ロードサイドにコンビニが出てくるようになったので、それほどまだ疲労も無かったが早めにコンビニでキレートレモンでクエン酸補給をする。そして単調なロードを進んでいくと神社の境内に入った。警備をしているスタッフに参拝のカップルが「これ一体何のレースですか」と聞いていた。連休に富士山の周りを160kmも走っていると聞いて、あのカップルは何と言ったのだろうか。そんなの聞かなくてもわかる。クレイジーだなと。

神社の駐車場を抜けてロードを進んでいくと、突然小山の入り口に出た。これが忍野前の最後の山のはずだ。入口でスタッフが「登って下りてすぐロードに出ます。次のエイドまで10km」と言っていた。10km?おかしいな長いぞ。そんな事を思いながら山を登ったが、これがなかなかの急登で身体が重い。必死に登っていってようやくピークに達し、下っていくと再びロードに出た。そしてこの後のロードがまた長かった。エイドまだか。まだか。そんな思いで進んでいくと、エイドどころか逆にトレイルに入っていった。エイドの手前は舗装していないのかな、など考えていると次第に登りにさしかかってきた。前を行くランナーが「携帯の充電が切れそう。これからもう一山あるからあと1時間半はかかる」と電話をしているのを聞いて絶望感を感じる。そうかここからがエイド前最後の山だったのか。

この山が結構な大きさの上に急登で本当にきつかった。暑い日差しの下ハゲ山のようなところをふらふらと登って行く。ようやくピークらしきところまで来ると、カメラマンがいて写真を撮ってくれたので空元気でポーズをとる。「あと3km」はいはい、ということはまだピークは先ですよね。全くその通りだった。ようやくピークを過ぎて下っていった。そしてやっとたどりついた忍野エイド。13時45分だった。

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A6~A7山中湖 127km

エイドに入る前に装備チェックでレインやエマージェンシーシートなどをチェックされた。これだけ良い天気だとドロップバッグにしまってしまった人もいるのだろうか。忍野エイドは本当に何も無くてがっかりした。とりあえず次の山中湖まで行けばサポートチームがカップヌードルを持ってきてくれるので、そこまでの補給としてエイドにあったアンパンやオレンジを無理やり腹に入れて、階段で一休みする。牧さんが到着して、ここまでの区間が本当に面白くなかったとぼやいていたのが面白かった。牧さんはおにぎり二個とオレンジジュースを持っていて、さすがロングレース慣れしている人は違うなと感心した。牧さんが少し寝ますとベンチに行ったので、トイレを済ませて早々にエイドを出発した。エイドを出るときに「ここから次のトレイルの入り口までの長いロードが面白くない」と言っている人がいたのだが、全くその通りだった。面白味の無い川沿いの田舎道を行くのだがあまり走る元気が出ず、少し走っては歩きを繰り返してノロノロと進む。途中で自販があったので無理やり横道にそれたが、ほとんど売り切れだったので仕方なく乳酸菌飲料を飲む。これで少し元気が出たのか、富士山が正面に見える田んぼのあぜ道のようなところを通り、ゆっくりとジョグで進んでいった。あぜ道、工場の横、そんな生活の哀しさを感じるような道を進んでいくとようやくトレイルの入り口が見えてなぜかホッとした。

トレイルを上がって行くと遠く右手に富士山が見えた。ここを超えれば山中湖だ。「山中湖までくれば後はゾンビでも何とかゴールまでは行けるから」と磯さんが言っていた事を思い出してがんばる。太平山を越え、景色の綺麗な高台で富士山の写真を撮った。その先の石割山への登りは急でエグかった。随分疲労も溜まってきた足で階段やロープセクションを必死に登って行く。ようやく上の方から声が聞こえてきた。やっとの思いで石割山に登るとチャンプさんが待っていてくれて握手をした。意外なメンバーが前半で潰れて苦労しているという話を聞く。みんな大丈夫かな。振り返ると絶景の富士があった。少し気持ちを落ち着けてチャンプさんに別れを告げて下っていった。

急な下りを下りると林道に出た。ここを下っていく着地の時に左足首の前側に痛みを感じた。これにレース後半で苦しめられることになるとは思わなかった。時計を見ると17時過ぎだった。スマホを見ると「18時頃に山中湖到着で大丈夫?」というメッセージが来ていたので慌てて「早ければ17時半頃には到着します」とメッセージを送って駆け下りていった。林道からロードに出て、途中の自販でオランジーナを飲んで先へ進んだ。元岩本町の田中さんという方と一緒に山中湖畔を走りながら、山中湖エイド到着。17時33分。

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A7~A8二十曲峠141km

山中湖エイドには磯さんが待っていてくれた。補給の終わった棟さんもいた。「早い早い。さすが経験者は違うね。」と言ってくれて嬉しかった。棟さんが席を譲ってくれて、座らせてもらった。「何でも欲しいものを言ってね」といいながら磯さんがバッグを降ろしてくれて、すごい勢いで水を補給したりゴミを捨てたりしてくれた。その後にクリームを塗って足をマッサージしてくれたのが有り難かった。「痛いところとか無い?」と言われたので「まだ大丈夫です」と言うと「いいね」と言われて肩もぐりぐりと揉んでくれて、痛くて思わず声がもれたが、気持ち良かった。実際、マフェトンペースをキープしていたせいか、筋肉疲労はあるものの全身の疲労感や倦怠感はあまり無かった。夕暮れが近づいてきて「この時間に登ると富士山と夕日が綺麗なんだけどね」と磯さん。4thメンバーがいつ到着するのか気が気で無かったので、カルピスだけもらって磯さんに別れを告げる。この後4thサポートメンバーが到着するまで待っていたのだが、ぐんぐん気温が下がってきた。岩クラの虎山さんが通りかかって寒そうだねと自分が着ていたダウンを羽織らせてくれた。このダウンが無ければ体温が下がって危なかった。ぐっさんが来てくれて、カップヌードルのカレー味を持ってきてくれたので、お湯の到着を待つのも寒かったので申し訳ないがエイドでお湯を借りて先に頂いた。むらむらさんも到着、挨拶をしてゴールで会いましょうと言ってすぐにエイドを出発した。

エイドを出てしばらくは身体が冷えて動かなかったが、ほどなく明神山のトレイルに入り登って行った。前後に人がいない真っ暗な斜面。振り返ったがもう陽はかなり落ちていて、富士山のシルエットが見えただけだった。再びヘッデンをつけて、何度かマーキングテープを見失いながらゆっくりと登って行った。ようやく明神山の上までついてまだ下る。この頃から左足首に嫌な痛みが出るようになった。登りは何ともないが下りで鈍い痛みが走る。磯さんにマッサージしてもらうべきだっただろうかと後悔する。この痛みはどれくらい続くのだろうか。痛みが出ると痛みに思考が奪われてしまう。長いトレイルの中でいいかげん痛みの事を考えるのが嫌になってきたので、途中でロキソニンテープを足首に貼った。

こうして長い夜のトレイルを行き、試走で平野さんと来た「平野」の分岐を何度か通ると山伏峠の看板が出てきた。登ったり下ったりで長い。長い。痛い。色々身体の動かし方を工夫するがなかなか左足首の痛みは完全にはとれない。そうしているうちに右膝の内側も傷んできた。そのうちにようやく山伏峠についた。さあここから本格的な山だ。何度もロープセクションが出て来て、本当にきつかった。手の力を使いながら必死に登って行く。木段もあったが疲れた足にはむしろ木段の方が力が逃げないので登りやすかった。しかしきつい。一体どれだけ登るのか。夜の山ではるか上の方にヘッデンの明かりが見えた時の絶望感たるや。むろん苦しいのは自分だけではない。後ろの方で「えーまた登るのかよー」という悲鳴が聞こえたこともあった。

こうして何度も登らされて、少し下りて、また登らされて、、というのを繰り返した末に、正面に巨大な黒いシルエット。その上から聞こえる声。心底絶望感を感じたとき、スタッフの姿が見えて「山頂には行かずにここから下りです。」の声が。本当に助かった。下りは土嚢のようなものがあってスリップして何度も尻もちをついたが、それでもこれ以上登らされるよりはマシだった。下りをしばらく降り切ったところに二十曲のエイドの明かりが見えた。22時45分到着。

 

A8~A9富士吉田155km

二十曲は全てのエイドで最も標高の高いところにある山中のエイドだった。やはりあまり食べられるものは無かった。奥ではうずくまっているランナーがいたり、温かいテントの中は疲れきったランナー達の避難所になっていた。エイドでは温かいレモンティーを二杯ほどもらい、軽くつまんであまり長居をせずにエイドを出た。さあいよいよ杓子山。後半最大の難所だ。

杓子までは真っ暗な山のトレイルをだらだらと登って行く。時折走れるパートもあったが、相変わらず痛みは友達だった。体の大きな欧米人をパスして先へ行くと、後にも先にも誰もいない、完全な孤独の闇の中を行くことになった。つづら折りを経ていよいよ本格的な登りのパートへさしかかった。時にロープを握りながら急登を上がって行くと、闇の中にテント群が現れて、こんな山中に幻覚ではないかと疑ったが本物のテントだった。そしてほどなく目の前に巨大な岩が現れた。さあいよいよロッククライミングパートだ。

ほとんど垂直の岩にロープが垂れ下がっていて、スタッフが岩の上で注意を促してくれている。「ここから15分ほど同じような岩場が続きます。」先程のテントはスタッフの休養所だったわけだ。こんな2000m近い夜の山の中で誘導をするなんて、本当に頭が下がる。岩にへばりついて登って行くが、夜のロッククライミングは相当スリリングだった。さすがに疲労でふらついたりもしたが、絶対に落ちるわけにはいかないのでしっかり岩や木の枝をつかみながら慎重に進んでいく。岩のやせ尾根を進みながら、でもどこかで「杓子山は何度かの偽ピークの後でまだ先だから期待するな」と冷静に言い聞かせていた。怖い怖い岩場パートを抜けてようやく下る。杓子はまだ先だ。慎重に行こう。下りになると痛みが顔を覗かせる。下ると前方に黒い塊が見える。そしてまた登る。まだだ。まだ先だ。下る。登る。まだだ。期待するな。何度か繰り返した後に、遠くで鐘の音が聞こえた。杓子の鐘だ!こうしてようやく杓子の山頂につくと、そこには沢山の中国人ランナーが休憩していた。見慣れたあの鐘がそこにはあり、眼下には夜景が広がっていてとても綺麗だった。嬉しくて鐘を鳴らしたが、思いのほか音が大きくて申し訳なく思った。

ようやく最後の難所を越えたという安堵感があったが、試走ではここからの下りがエグくて怪我人が出たことも同時に思い出していた。そんな急な下りを時にロープをつかみながら慎重に下っていく。本当に長い下りだった。ここで試走の時に誰々がこけたなとか、一旦止まって休憩したなとか、色んな事を思い出していた。この尾根を下りて行くあたりからヘッデンの反射光が人の形に見えるようになった。はじまった。幻覚だ。こうして下りの尾根を下りていき、つづら折りの下りトレイルをしばらく行くと長い林道の下りに出た。こうしてようやく林道が終わり、舗装路に出たところで遠くに夜の町が見えた。夜の町のいたるところにマーキングテープがあったのだが、これがくねくねした人に見えた。こんな深夜にいるわけがないところに人がいるように見えると、近づくとマーキングテープだった。しばらく行くと試走で寄った自販機に到着。ここで缶コーヒーを買って飲んだ。とても美味かった。再びロードを走って行くと誘導員が増えてきた。もうすぐエイドだ。しかしここから何度かエイドの幻覚を見て、エイドで手を振っているように見えて近づくとただの工事現場だったりという事が何度かあった。町を抜けて寂しい農道を抜けて行くとようやく行く手に本物のエイドが見えた。最終エイド富士吉田2時40分到着。

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A9~ゴール河口湖 168km

富士吉田のエイドにつくと高広さんがエイドでボラをしていた。この時間のエイドは人もまばらで閑散としていたが、この後明け方にかけてがボリュームゾーンになるのでこれから忙しくなるようだ。そしてうねちゃんも東京から最終エイドに駆けつけてくれていた。吉田うどんを食べているとほどなくむらむらさんとぐっさんも来てくれた。「すごい、よくここまで来たね」時刻は夜中の3時。眠そうな顔をして物好きな人達だなあ。ありがとう。本当に心底嬉しかった。足の痛みは相変わらず酷かったが、もうここまで来たら後は這ってでもゴールは出来る、この時はまだそう思っていたので心に余裕もあった。「ではゴールで会いましょう」一人一人と固く握手をして、高広さんにも挨拶をして富士吉田のエイドを出た。

痛みで走れなかったのでトレイルの入り口まではほぼ歩きで行き、マンションの横の見覚えのある入り口をくぐって最後のトレイルに入った。さあラスボスの霜山だ。ここはとにかくだらだらと長い登りがある事がわかっていたので、焦らず登って行った。だが想像していたよりもはるかに長い登りがそこにあった。

疲れて登りのスピードも出なかったので余計に長く感じたのだろうか。また途中で急登も挟んだので、背中のコリが限界に達していた。腰が痛い。斜面で何度か止まって腰を伸ばしながら、ひたすらゆっくり登っていった。登りの途中から明るくなってきて、途中でヘッデンを外した。中国人や日本人のグループの会話を聞きながら、のろのろと霜山を登った。ようやく見覚えのある木の橋が見えた。さあもうすぐピークだったはずだ。しかしまたそこから長いつづら折りの登りが続いた。足も腰も悲鳴を上げている。心拍は上がらないが息は上がる。こうしてようやくスタッフの待つ頂上についた。これでもう大きな山を登らなくていいかと思うと心底ほっとした。さあ後は河口湖へ下ろう。

そう思って走り出した時に身体の異変に気付いた。下半身がブレてぐらぐらする。何だか背骨がぐにゃぐにゃに曲がったような気分だ。何だこれは。何度か立ち止まって屈伸をして身体に正しい動きをインプットするが、走り出すと腰から下がブレて走れない。身体のコントロールが効かなくなったのは初めての経験だった。

しかも山頂の尾根は寒く、早く駆け下りたかったが走れないので仕方なくパワーグリッドを羽織って、よろよろと進んでいく。途中で一緒になって写真を撮ってあげたランナーに、腰大丈夫ですかと心配された。余程動きがおかしかったのだろう。ここからの下りはまともに走れなかったので、気持ちの良いはずの最後のダウンヒルが本当に苦痛の長い時間に感じた。ぶれた下半身を必死に抑え込みながら、這う這うの体でトレイルを下る。足も痛いし、散々だった。何度かロードをパスしてトレイルに入り直し、完全にトレイルが終わってロードに出たところでサポートメンバーに泣き言のメールを入れた。本当は5時台(38時間台)の早いうちにゴール出来るはずだったのに、これじゃや6時台(39時間台)がぎりぎりじゃないか。

ここから先はほぼ歩くしかなかった。スタッフのいるロードはがんばって走ってみせたが、それも長くは続かなかった。こうしてロードの最後の丘を歩いて越えて、とぼとぼと川口湖畔に降り立った。腰は完全に左に折れてしまった感じで、走る事はおろか、まっすぐに立つ事が難しかった。右足でかろうじて身体を支えて歩く状態だった。本当は気持ち良いはずの最後の河口湖ランを、歩きでとぼとぼと行く情けない自分。途中で「おい岩本町がんばれ!」と岩本マークを見たランナーに声をかけられてさらに凹む。

そうやって湖畔を歩いて行くとむらむらさんが待っていてくれた。気持ちが緩んで思わず声が漏れた。「もう全然走れないんですよ。悔しい」そう言って一緒に湖畔を歩いた。「よくやったじゃない」そう言って写真を撮ってくれて、気分が少し明るくなった。こうして最後の橋にさしかかった。そこで見えた富士山は本当に綺麗だった。「明るくなってゴールするのも良いもんですね」。一緒に歩きながら橋を渡る。沢山のランナーに抜かれたが、もう順位やタイムはどうでも良かった。橋を渡り終えるとスタッフがいて、階段を慎重に下る。さあもうゴールはすぐ近くだ。湖畔をがんばってジョグすると遠くから声援が聞こえた。うねちゃんとぐっさんだ。「いやー、もう全然走れなくて。」そう言いながらみんなと一緒にゴールに向かっていく。沿道で応援をしてくれているのでゆっくりでも走らないわけにはいかなかった。水越さんが写真を撮ってくれた。必死に走っているとようやくゴールへの曲がり角が見えた。最後のストレートはゆっくり歩いて、両側の人達にお礼を言いながらゴールを越えた。39時間36分12秒。最後はほろ苦い味のゴールテープだった。

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〈ゴール後〉

六花さんだけでなく鏑木さんがいて一緒に写真を撮ってくれた。嬉しかった。

 

鏑木さんに腰大丈夫?と言われて、いやー途中で力入らなくてと言うと、「マイルやる人、それよくなるんだよねー」と言っていた。マイル腰ってあるの?!

 

うねちゃんが大好きなPUNKIPAを買ってきてくれていた。ぐっさんとむらむらさんと乾杯した。雑炊なぞ作って色々世話を焼いてくれた。本当にうれしかった。

 

岩クラのメンバーも続々とゴール。迎えて、いろいろ語り合う時間が素敵だった。潰れたメンバーも全員完走。イワクラすごすぎる。

 

閉会式は2年前と同じく晴天で暑いくらいだった。あの日あの時に誓った絶対戻ってくるという約束を果たせた。

 

とにかく関わってきた全ての人のおかげで出来たゴールだった。ありがとう。それ以上に言葉が見つからない。

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#UTMF #UTMF2018 #Ultratrailmountfuji #岩本町trc

 

カスケードクレスト100マイル完走記

Cascade Crest Classic 100Mile Endurance Run (2017.08.26)

 

初めての100マイルは、2017年のアメリカだった。

きっかけは2016年のUTMF 。スタート直前に雨でコース短縮の神託があり、一体ここまでの数年間は何だったのかというやり切れない思いで走った。

 

日本でマイルをやれないなら、アメリカへ行こう。

そんな思いで申し込んだCCC(Cascade Crest Classic 100)。

 

だが、シアトルに着いた僕を待っていたのは、山火事によりコースが50マイル地点で折り返しになるというまさかの展開だった。さすがアメリカ。

キャスケードは前半はアップダウンがあり、後半はなだらかな走れるコース。つまり前半のアップダウンを二回やれということか。しかも何故か関門時間が一部繰り上がっている。もう笑うしか無かった。ここまで来たらやるしかない。このタフな状況を楽しみながら走ってやる。f:id:ayumuut:20180930001244j:image

目覚ましをセットした1時間前に目が覚めた。午前5時半だ。レース前にこんなにぐっすり寝れたのは初めてかもしれない。昨夜9時頃にはベッドに入り、何度か途中で目が覚めたが7時間は十分寝たはずだ。早めに起きて支度を始めよう。


イーストンから高速で15分程の隣町、ティンバーロッジインはロードサイドの快適なモーテルだった。支度を終えて外に出ると朝焼けが見えていた。

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車でイーストンに入ると、昨日の閑散とした消防署が人々で賑わっていた。エントリー受付で番号を告げると、ゼッケンとレースグッズとTシャツを渡してくれた。

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消防署の中では地元の子どもたちが朝食ビュッフェを振まってくれている。パンケーキを食べたが少し足りなかったのでデニッシュを2つほどおかわりした。しかし寒い。寒いと余計なカロリーを消費するという誰かの言葉を思い出し白湯を飲む。8時10分よりブリーフィングが始まる。マーキングの事、コース変更になってロープセクションの注意事項など、ジョークを交えながら話していたが、半分もわからなかった。コース変更になってみんな大変だと思うけどFUNで行こうぜ、みたいな感じだと思う。

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スタートは突然にやってきた。子供たちの可愛らしいアメリカ国家斉唱の後、午前9時になったのか、唐突に皆が走り始める。号砲もカウントダウンも無い。

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しばらくは砂利で走りにくいフラットなロードを走って行く。みんな意外とペースが早いなあ。前半は絶対に飛ばさないと決めていたので、抜かされても気にしない。気にしない。気にしない。あれ、心拍がもう150くらいまで上がっているぞ。

f:id:ayumuut:20180930002255j:image次第に軽いアップダウンの林道になり、いよいよトレイルの入り口まで来た。ここからは歩きで少し心拍を落としたい。しかし結構な斜度な上に周りのペースが早いのでなかなか緩められない。あの身体の大きなアメリカ人が登りになると特に早い。ストライドが大きいから有利だよな。大きな身体でぐんぐん登っていく。ランナーには年配の人も多い。あと脚や腕にタトゥーをがっつり入れているランナーもいてアメリカらしい感じだ。


登り続けていると心拍は155を超えてきて、自分の中の上限と決めていた160台に入る事も出てきた。まずい。登りは結構サクサクと進んでいるつもりなのだが、すぐに後ろに渋滞ができてしまう。しばらくは頑張っていたが、下手に体力を消耗しないようにトレイル脇へ外れて抜いてもらう。抜きぎわに「大丈夫か?」と聞いてくる。さすがにまだ大丈夫だよ!お前らこそ潰れんなよ。


ハンドボトルだけで走っているランナーが結構いる。日本のマイルレースはとにかく重装備傾向で必携品を課する事も多いが、キャスケードはもちろん装備チェックなど無いし、完全に自己責任なのでハンドボトルに裸で走っていたりしてクールだ。


一方で登りではポールを使っている人も意外に多い。前日スタッフにポールを持っていくべきか聞いたら、いらないよと言われたので中間地点のHyakに置いてきた事を後悔し始める。2時間くらいして腿と尻の筋肉に乳酸が貯まってきた感じがし始め、まずいなと思う。こんなに早くに疲労感が出始めるなんて。乳酸が貯まってからが勝負だから気にすんなと言い聞かせる。


依然として心拍は160前後をキープ。さすがに高すぎる。しかし19時のスタンピードの関門に余裕を持って入るためには、前半に貯金を作っておきたい。心に不安がじわじわと忍び寄る。こんなに足を早くに使って大丈夫か。いつもならこんなに早く筋肉の疲れを感じた事などないのに。得体の知れない不安感が拭い去れない。

とにかく最初のエイドGoat Peakの30時間完走の目標タイム2時間40分だったので、到着した時のタイム差で考えよう。


4.5マイル地点のGoat Peakに着いたのが11時間40分、目標タイムぴったし定刻。まじかJR田中さんの時刻表通りじゃないですか。さすがJRの精度は半端ねえな。てかこれだけ頑張ってやっと30時間ペースかよ。ここから先もあまり緩められないな。

 

Goat Peakからは急に視界が開けて目の前に雄大なキャスケードの山が見える。ランナーがその斜面を列をなして登って行くのが見える。自分もエイドをパスして続こうとしたが、美味しそうなスイカが見えたので戻ってもらう。瑞々しくてめちゃ美味かった。さあ山に入るぞ。

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高度が上がっていくと眼下に見える景色が素晴らしい。時折霞などがかかって、アメリカに来たんだなあという実感が湧いてくる。そしてトレイルは樹々の間へと入っていく。

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この頃から、時折足がつまずくようになる。路面は根っこもなく石も少なめでスムースだが、時折ある石につまずいて前のめりで転けそうになる。まずいな、これは脱水の兆しだ。足を動かす電気信号に微妙なズレが出ているということだ。次のエイドで水と電解質を多めに取らなければ危ないな。右足の筋肉にピキっとするつり始めの感覚も出ている。全てペースが早すぎるせいだ。


9.4マイル地点ColeButte到着。電解質タブレットを多めにかじり、水もしっかり飲んで少し気持ちも落ち着く。このエイドでは何とポプシクル(アイスキャンデー)が出て来た。ここから少しだけ登りが続くのだが、みんなポプシクルを舐めながら歩きで登っていく。

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少し登ると長い長い林道をしばらく下り、底まで行ったらまたダラダラと登るという、ちょっとおんたけぽいセクション。この時間はまだそこまで暑くなかったが、後半はこのパートに苦しめられる事となる。

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相変わらずしっくり整わない身体と心。漠然とした不安。そんな時に思い出したのがサイラーのきーちゃんの「リタイアなんて選択肢は1mmも無かった」というやつ。そうだよな、走るためにアメリカへ来たんだろ。関門でぶち切られるまで、やめるなんて選択肢はない。このペースが維持出来れば大丈夫だ。ここから先はコースが若干だけ短縮されていたので関門の貯金も出来るはずだし。


14.2マイル地点 Blowout Mtn到着。ここもJR田中さんの時刻表通り、ちょうど1時間後の12時40分の到着だった。

前の女性ランナーが犬にハイドレの水を分けてあげている。犬も嬉しそうだ。

ポテチとリンゴを食べようとしたら、リンゴと思ったのは実はサツマイモで一瞬吐きそうになる。ああびっくりした。エイドにはミキサーがあってラズベリーの冷たいスムージーをその場で作ってくれたのだが、これがめちゃ美味かった。日本では考えられないホスピタリティだ。美味いわーって言ったら、そうだろラズベリーと何やらと何やらとを入れてるスペシャルだからな、と得意げなスタッフ。さあいよいよPCTだ。

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走っているとおもむろにPCTの看板があったので、思わず歓声をあげる。世界中のスルーハイカーの憧れの道、Pacific Crest Trail。時折スルーハイカーが歩いているのとすれ違う。日本と比べると若者のハイカーが多い気がする。最近の映画の影響かな。

ここからしばらくPCT沿いに進んでいく。アップダウンが少なくなってきて、ようやく心拍が140台に落ち着いてきた。身体の固さが取れて少し整ってきた気がする。

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しかしここからTacomaまでの10マイル強は実に長かった。これまでのエイド間隔であれば500ml一本あれば十分持つと思っていたら、次のエイドがなかなか出てこなくて焦り始める。水が底をつきそうで怖かった。確かに時刻表ではこの間3時間かかっていた。前のエイドを出る時に用心しておくべきだったが仕方ない。結局2時間半と少しかけてTacomaへ到着した時には喉がカラカラだった。


14時44分にTacoma到着。ようやく目標タイムに対し30分強の貯金が出来た。Blow Mtnからのループコースが無くなったのも大きいのだろう。ようやく水を得た安心感に浸る。ここTacomaからはまた登り返すルートになる。エイドスタッフに勧められてバフのキャップの中に氷を入れてかぶりエイドを出た。

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しばらくPCTの看板が出ている比較的フラットな樹林帯を行く。やっと心拍も下がり身体が整ってきた。脂肪燃焼の低燃費「巡行モード」に入った感じだ。さあ、脂肪よ燃えろ。マフェトン練の成果を見せてみろ。登りも辛さが無くなって、リラックスして森を進んで行く。


樹々を抜けて斜面を上って行くと、こんなに早くにあるはず無いところにエイドがある。道の両側にビールの空き缶が並んだ花道。ボランティアのビールエイドだった。「ポイズンはいるかい?」「狂ってるね」と返答しながら、もちろんゴクリと頂く。「アメイジング!」最高に美味かった。

そうだ、自分は大会を楽しみに来たんじゃないか。関門にピリピリするのではなく、楽しみ尽くそうではないか。このビールで何か肩の力が抜けた気がした。

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16時半過ぎに28.6マイルSnowshoe Butte到着。中学生たちが運営しているエイドだった。エイドの名前を確認しても知らないところが初々しいが、いろいろ声をかけてくれた。ベーコンとチーズを挟んで焼いたナチョスを勧められて、気持ち悪くならないか心配しながら食べたら「美味い!」

おばちゃんドヤ顔。

さあここまでくればStampedeの19時関門はまず大丈夫だ。

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下り基調の森を1時間後ほど走ると32.9マイル地点のStampede Passに到着。17時40分。関門は19時なのでかなり貯金を作れた。ここでもナチョスとチーズを食べる。優子さんもおすすめのチーズで、筋肉疲労が回復しますように。

ようやく1/3来た。そろそろ暗くなり始めるはずなのでドロップバッグからPetzlのヘッデンを取り出し、ザックに入れてエイドを出た。


山際に陽が落ちてきたが、なかなか暗くはならないので、しばらくはヘッデンをつけずに進む。このあたりからトレイルが乾燥し始めて埃っぽく、距離を詰めすぎると前のランナーの鉾が舞って気になるので、適度に間を取りながら巡行していく。

 

この辺りまで来ると前後で抜きつ抜かれつの選手が決まってくる。2人一緒に進んでいる白人と何度か抜き会う。コロラドから来たらしい。日本から来たというと驚いていた。途中で1人が足を滑らせて転倒する場面があったが、大事では無かったようだ。たまたま転倒した横に湧き水があったので顔を洗う。最高だねと笑い合う。

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次第にトップ選手が折り返してくるのとすれ違うようになる。もうHyakから戻って来たのか。信じられない早さだ。大体がペーサーをつけてライトを煌々と焚いている。「Good job!」「Nice work!」声を掛け合うと気持ちが楽になる。

4,5番目くらいに女性のトップランナーが戻って来た。前日にスタート会場を見に行った時に、華奢な娘がいるなあと思ったその人だった。その時確かに彼氏にペーサーしてもらって19時間目標で走りたいと言っていたけど、イケメンの彼氏を後ろにペーサーとしてつけてすごい早さで戻ってきた。めちゃ早いやんか。なんたるリア充やな。


そのまま日暮れ直前に39.9マイル地点のMeadow Mtnに着いた。19時44分。ここでフードをつまんだ後にアミノ酸を補給すると強烈な吐き気に襲われる。やばいなあもう胃に来たか。見ると隣の人も頭から毛布を被ってゲーゲー吐いている。急に夜戦病院感がしてきた。みんなきついんだな。

座っていると足に激痛が。蚊に刺された。こっちのやつは凶暴だな。長居せずに行こう。

エイドを出てしばらく行くも痛みが引かないので、ポイズンリムーバーで吸い出して抗炎症薬をべったり塗る。これで随分楽になった。

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ここから次のOlallieまでは足場も悪くて走れない区間だった。ヘッデン慣れもしていないのでゆっくり進む。Hyakの関門までに時間はあるはずだ。月がとても綺麗だった。

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それなりに登り返しもあるセクションで、アミノ酸のおかげか、麻痺したのか、筋肉痛はもう感じなくなっていた。しかしHyakに着いたら復路は絶対ポールを使おうと、この頃には心に決めていた。


45.8マイル地点のOlallie Meadow到着。日本人女性がスタッフでいた。久しぶりに日本語で会話が出来てホッとする。去年は日本人が何人かいたのに今年は1人だねと話していたらしい。光栄です。温め直したトマトスープとパンを恐る恐る食べてみると吐き気も起こらずすんなり食べれた。目玉焼きのようなものも勧められて、これも食べられた。ちゃんと食べられるとそれだけで活力が湧いてくる気がする。

「ここからHyakまでは3マイルの下り、2マイルのトンネルだけよ」と聞いて、また帰ってきます、とエイドを出た。

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ここからHyakまでの下りは噂のロープセクションだ。ロープの崖があると聞いてかなりビビっていたが、なるほどこれはロープ無いと滑り落ちるやつだ。登りの早い選手には申し訳ないが待ってもらいながら慎重に下っていく。そして復路はここをもう一度登るのか、憂鬱だなぁ。

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ようやく下まで降りきると、しばらくはロード区間。向かいからどんどん選手が戻って来る。そしてしばらく行くとようやく見えてきたキャスケード名物のトンネル。昔の鉄道な何かのトンネルだと思うが、とにかく長い。走れど走れど出口が見えない。あまりに長いのでそのうちになんだか瞑想状態に入り、進んでいるのかどうかわからなくなってきた。時々向かいから選手が来るので気が紛れたが、往復じゃ無かったらかなり孤独な区間だな。後で聞くと2マイルじゃなくて4マイルもあるトンネルという噂も。

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何度か出口と思ったらただの向かい選手のヘッデンで、というのを何度も繰り返してもう出口を期待するのをやめた頃、ようやくトンネルを抜けた。Hyakの明かりが見えた。23時12分到着。ようやく100マイルの半分まで来た。


Hyakは噂のスノーマンのライトアップがあった。スープでチキンをお願いしたらチキンラーメンだった。ありがたい。もうジェルは全く受けつけなくなっていたので、ヌードル多めでチキンラーメンをお代わりした。心拍もかなり下がっているので、後はリアルフードだけで自分のエネルギーを使いながらどこまで行けるかだな。

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ポールをザックに刺して出発した。さあイーストンへ帰ろう。


後半戦


Hyakを出るとまたトンネル。はいはい長いのわかってるから出口なんて期待しないよ、と思いながら進む。反対側からランナーが来るが、歩いている人も多い。Nice Work!と励ましながら進んでいく。行きは気づかなかったが骸骨が首から「Need a Pacer?」というプラカードをかけて吊るされていた。キャノンボールかっつうの。いやビールやら骸骨やらキャノボの方がアメリカ的なのか。


期待しないと案外早くに出口を通過して、例のロープセクションの入り口へ。男性をペーサーにつけた女性の後ろからロープを持ちながら登っていく。この女性もふくらはぎにタトゥーを入れていたが、途中で並ぶと意外に高齢だった。アメリカは年輩でもがっつり墨を入れたランナーが多くてかっこいい。

ロープの直登は足場が滑りやすく埃まみれになったが思ったよりは登りやすく、程無くして急斜面の林道に出る。そこでザックからシャキーンとポールを取り出す。夏合宿で教えてもらったように、身体を押すように使ってみる。最初は慣れなかったが、次第に推進力がつけられるようになってきた。こりゃ登り楽だし早いんじゃね?


あとポールを使った最大の効用は、登りを走らなくて良いという気持ちになった事で、登りの精神的ストレスが激減した事であろう。実際に体力的にも楽になり、心拍も上げて120がマックスになってきた。多分疲れてきて追い込めなかった事もあるのだが。


そうしているうちに長い林道を登り切って午前1時に56.2マイル地点のOlallie Meadowへ戻ってきた。行きで美味しかったトマトスープをお願いすると無くなったと言われてがっかりしたが、少しだけあるよと出してくれた。パンも特別にピーナッツバターの塗っていないプレーンなやつをもらう。


行きで声をかけてくれた日本人女性が大丈夫かと声をかけてくれた。すると隣に座っていたヒゲのおじさん(彼女の旦那さん)が、お前ヒロキイシカワ知ってるかと聞いてきた。もちろん知ってるぜと答えると、彼は俺のジャパニーズブラザーなんだと言う。実はこの人Brandonという有名なトレイルランナーでワサッチ100に毎回出ているレースの顔みたいな人だった。日本の千日回峰はすごいよねみたいな話で盛り上がる。来年キャスケードのレースに来たら俺の家に泊めてやるからと言われる。社交辞令でも嬉しいぜBrandon!

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あまりゆっくりもしていられないので、じゃあ行くねと言ってエイドをでる。後ろでBrandonが「Go!Go! Rock'n Roll Yeah!!」と大声で叫んでくれた。ストックを両手で上げて背中のガッツポーズで応える。涙が出た。


ここから次のMeadow Mtnまでは淡々と進んでいった。暗闇の中を登りはポールで一歩一歩、下りは走れるところだけ走る、無理をしない。そうして進んでいるとポールを使っての下りで何人か追いついて抜くようになってきた。

ただこのあたりから時々膝や肘に違和感が出始める。痛みの前兆までではない。やはりポールによる違う動きを入れたから脳が敏感に反応しているのだな。山田先生に教わった立ちストレッチをして、ちゃんと骨盤に衝撃を抜かせる動きを確認して脳にインプットしてみる。その後最後まで痛みは出なかった。


62マイル地点のMeadow Mtn(夜戦病院ぽかったとこ)到着。結構進んだつもりだったがまだ折り返しから10マイルしか来ていないのか。ここでは白湯とヌードルをもらう。ヌードルはふやけて柔らかいので、しっかり噛んでスープと飲み込めば食べられそうだ。それにしても夜になっても気温が下がらない。シアトルの夜は寒かったので夜の防寒を覚悟してきたが、むしろずっとTシャツで丁度いい。

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そこから登り基調でStampede Passへ向かう。緩やかな登りも歩いていたのでかなりペースも落ちた区間だと思う。抜いたり抜かれたりも、大体同じ顔触れだ。次のStampedeの関門は午前9時だったので、歩いても全然余裕だと思っていたところもあった。この余裕のツケが後半に来る事になるのだが。でも心細くなりがちな夜間パートを気持ちをリラックスして進む事が出来たのは良かったと思う。


午前3時頃、Petzlのヘッデンがチカチカ点滅して暗くなってきた。フル充電して20時頃から弱で照らしてきたのに、7時間しか持たないのか。暗いとストレスになるので、早々にザックのブラックダイヤモンドと交換する。もう日の出まで数時間なので明るさマックスで照らした。途中でPCTの看板が見えた。少し戻ってきた気がして嬉しかった。


星空がなかなか明るくならないなあと思っていたが、ようやく青みを帯びてきた頃に69.1マイル地点のStampede Pass到着。午前6時12分。エイドに入る前に朝焼けが見えた。ようやく2/3まで来た。これから明るくなると思うと気持ちも楽になった。

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相変わらずジェルは食えないのに空腹感だけは増してきたので、ヌードルをたくさんおかわりする。麺を茹で始めたところなので固かったが構わずもらってしっかり食べた。もうゴールまでのエネルギー源はこれしか無いのだから食うしかない。ドロップバッグにジェルやアミノ酸を入れていたがどうせ食べられないので交換しなかった。ヘッデンをドロップに戻して荷物が軽くなった。日が出ると暑くなりそうなのでファイントラックも脱いでエイドを出た。


次第に空が明るくなってくる。高原の送電線の下を行く。大量の電気をアメリカ中に送っているのか、チリチリと音がするちょっと異様な朝焼けの光景。PCTの森に入ると樹々が朝焼けで赤くなっていた。なぜかハセツネで見た朝焼けで血のように赤い森を思い出す。日が出るとやっぱり元気が出るな。足元も見えるので走りやすい。

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シングルトラックの長い登りを行くと、途中で犬の写真と英語のジョークを書いた看板が出て来た。「早く来て、待ちくたびれたよ」「ペーサーいる?」(またか)。気持ちが和む。そうかこの先はSnowshoe Butte、学生たちがボラをしていたエイドだ。

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73.4マイル地点のSnowshoe Butteに到着。写真のワンちゃんたちがお出迎え。テントで寝起きの子どもたちも迎えてくれた。エイドで座ってここまで抜きつ抜かれつしていた50代くらいの白人と話をする。先週仙台に大学の関係の仕事で行っていたとか。すごい偶然だ。ベーコンとチーズを挟んだナチョスで腹ごしらえしてからスタートした。


ここから79.9マイル地点のTacomaまでは下り基調。下りの衝撃が足に重く響く。確かにもう110kmを超えているんだな。こんな長い距離を走るのは初めてだもんな。最後まで足が持つだろうか。上手くは走れないが、痛みは出ていない。まだ行けるはずだ。


明るくなってPCTスルーハイカーともすれ違うようになり、景色を楽しみながら尾根を行き、下りはじめたところにテントが見えてきた。私設のビールエイドだ。クーラーボックスからビールを出してもらい、よく冷えたビールをゴクリと飲む。これがうまくないわけがない。行きも帰りもご馳走様でした!

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ビールエイドを出るとすぐに、トレイルを補修しているボランティアの人たちとすれ違う。このレースで痛んだところもあるんだろうか。お礼を言いながら下っていく。


79.8マイル地点のTacomaPass到着。この頃にはAmbitの充電も切れていたのだが、心拍はもう上がらないので気にせず時刻だけを見るのに使っていた。到着はちょうど午前10時だった。Tacomaの関門は13時なので貯金は3時間ある。さすがにもう大丈夫だろう。

エイドではスタッフがスルーハイカーにも食料を振る舞っていた。これがエンジェルというやつか。実はTacoma到着の直前にジェルを試したがやはり吐いてしまった。何度か嘔吐したがもう胃は空っぽで何も出なかった。リアルフードなら行けるだろうか。海苔巻きがあったので恐る恐る食べてみる。何とか喉を通った。頼むぞお米、おらに力をくれ。

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TacomaPassを10時10分くらいに出た。バフに氷を入れているランナーもいたが、そこまで暑くないし逆に身体冷やすんじゃね?と思ってスタートしたのだが、ここで行きと同じミスをしてしまった。次のエイドは11マイルも先のBlowout Mtnだったのだ。油断して水も500一本しか持っていなかった。


しばらく樹林帯を抜けると、日差しを遮るものが無い、暑い登りのシングルトラックに出た。ここまで涼しかったのに急に気温がぐんぐんと上がっていく。

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そして想像していなかったのはアメリカの乾燥だ。呼吸するだけで喉と鼻の奥がすぐに乾燥して痛くなる。特に喉が痛いのでこまめに水を口に含んでいたらあっという間に水が残り少なくなってしまった。その上登っても登ってもなかなかピークに着かない。おまけに乾燥するので息が上がるのに息をしたくない感じ。坂の途中のわずかな木陰で休んでいるランナーもいた。

「全く暑すぎるね、ピークはまだかな」「もうすぐだと思うけど」ようやくピークに出たが、エイドはまだまだ先だった。足場の悪い灼熱の尾根をよろよろ進む。エイドまだか。水飲みたい。喉痛い。水、水


遅々として進みながら次第に弱気になってくる。かなり進んで来たが距離にしてもあと20マイル以上、40km近くもある。まったく100マイルってどんだけ長いのよ。これだけ来たのにまだ3つか4つのエイドを越えなければならないのか。「120km過ぎてからが本当の100マイル」という言葉の意味がようやくわかってきた。あまりの長さに気持ちが折れそうになる。

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しかもこの長い区間でまた関門時間に対する不安感が頭をもたげてきた。3時間も貯金があると思っていたけど、あと3つのエイドを各2時間で行っていたら最終関門到着は16時あたりになる計算になる。17時30分がカットオフだから、1時間くらいしか余裕が無いことになる。これのんびり歩いている場合じゃ無くね?


煩悩に囚われながら灼熱のガレた下りをよろよろと降りたところでやっとこさ白いテントが見えた。87.8マイル地点のBlowout Mtn到着。12時40分。やはり前のエイドから2時間以上かかっていた。テントに入って椅子に座り、全身霧吹きで水をかけてもらう。水に氷を入れて飲んだのがめちゃくちゃうまくて何杯もおかわりした。スイカももらった。もうこのテント出たく無い。もうあの炎天下に出るのやだよ。

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でも関門がマジで危なくなってきたので、バフのキャップに大量の氷を入れてもらい、頭からかぶって、水も500ml二本を持ってスタートした。ここからは林道の長い下りと、長い長い登り返しだ。


林道の下りは割と早く、20分くらいで底まで降りた。距離的には次のエイドまであと半分くらいまで来たはずだから、全部で1時間あれば着けるかなと思っていたが、これが全く甘かった。


そこから登りの林道はもう、地獄だった。どんどん上がる気温。乾燥による喉の痛さも麻痺してきた。頭の氷も谷底までは残っていたけど、登り始めるとすぐに溶けて無くなった。足に力が入らない。ポールで腕の力で押しながら、一歩一歩登る。

まるでおんたけや。灼熱10倍マシマシのおんたけや。しかもおんたけより斜度があって走れないのでたちが悪い。登ったかなーと思ったらその先にまた延々と続く長い林道が見えた時の絶望感を何回もループした。

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そのうちおかしな事に気づいた。道の途中に茶色い地球儀が置いてある。目を凝らして見てもクリアに地球儀が見えるのだ。少しずつ地球儀に近づいていくと、それは倒木の断面だった。同じように、白いテントが見えたり、座ってこっちを見ている2人がいたり、折り紙で作ったようなデザインツリーがあったり、変なものが視界の一部に混じるようになってきた。


これが幻覚というやつか。でも想像していたものとは全く違う。サイケデリックでも何でもない。とても鮮明だ。視界の一部を、脳が勝手に解釈して鮮明な別の映像に誤変換しているのだ。つまり脳の情報処理が一部だけバグっているということか。だから何度目を凝らして見ても一度誤変換された情報が消える訳では無いし、相当近づいてそれが別のものであるという信号が脳に入ってはじめて正しい情報に映像がもどった。


想像していた幻覚とは二晩くらいの睡魔と疲労の中で起こるものであった。いま睡魔はまったく無い。意識もしっかりしている(と思う)。つまりは、脳に糖が足りないために、もしくは脳が省エネモードに入って情報処理が大雑把になったために視覚にエラーが生じているのだろうか。人間の知覚なんて曖昧なもんだな。


そんな事を考えながら灼熱の林道で幻覚を見ながら、ようやくピークを超えたところで視界の先にテントと人が見えた。これは幻覚じゃないだろうなと慎重に近づいていく。人がこちらに手を振って、エイドはこの先下ったところだよと言われ、またしばらく走らされた。


やっとの思いで92.6マイル地点、ColeButte到着。日差しを避けるテントの椅子に倒れこむ。頭から水をかけてもらう。思わず声が出た。ジンジャーエールに氷を入れてもらい何杯もおかわりをした。助かった。もう食べれるものもない。せめてジュースの糖分をとって頭をはっきりさせないと。幻覚など見ている場合ではない。でもテントの外に出たくない。しかし最後のエイドまでは時間に余裕が無いのであまりゆっくりもしていられない。

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覚悟を決めて再び頭に氷をたっぷり入れてColeButteを出た。エイドを出るときに最終関門大丈夫だよねと聞いたら、きっと大丈夫と言われて少し気が楽になった。


Cole Butteから最終関門までは大きな登りはないはずだと信じて進む。確かにコース的には大きなアップダウンは無く、走れるところもあったが、すでに下り以外はしっかりと走る事が出来なくなっていた。細いシングルトラックが続くのだが、身体が左右にふらつくのがわかる。エネルギー切れだ。斜面に沿って伸びる山道は怖いのでポールでバランスを取りながら足を滑らせないように慎重に進む。こんなところで足を滑らせてDNFになったら、ドラマだけど嫌だよなあ。


ようやく最後の小さなピークを越えたが、下りが走れなくてとぼとぼと降りていくと、やっと最後のエイドが見えた。エイドからは歓声が聞こえる。もーそんな見られていたら走らなあかんやん。砂っぽいトレイルを精一杯頑張って駆け下りる。


最終エイドにして最終関門のGoatPeak。16時15分到着。Tacomaを出た時には3時間あったはずの貯金が、実に1時間近くまで減っていた。これ以上ゆっくりと進んでいたら危なかった。ここを通過すればゴール関門の19時にはまず間に合うはずだと思うと、少しだけ気持ちが楽になった。


あとはゴールまで走り切るエネルギーがあれば良い。糖だ。氷を入れたコーラを何杯もおかわりをした。「ポブシクルもあるよ」と言われてアイスをもらう。溶けて崩れ落ちて半分しか食べれなかったが、実に美味かった。この糖を使っておれの脂肪よもう一回だけ燃えてくれ。

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ここからは全部ダウンヒルだという事をスタッフに確認して、ポールをザックにしまい、あまり長居はせずに最終関門を出る。両手が使えるので下りがいつものリズムで走れる。足はまだ動く。痛みもない。心拍も大丈夫だ。身体の状態を分解して一つ一つ確認しながら、下りの林道を走っていく。


途中で何人かランナーを追い越した。女性2人組を抜いたとき、彼女のペーサーがすごいスピードで追い抜き返そうと着いてきたので先を譲ろうかと思ったが、本人が疲れているようで次第に見えなくなってしまった。


行きでこんなに長い林道を登ったかなというところを下りきると、ようやく開けた平地に出た。あとは長い砂利のロードを進むだけだ。さっきの女性2人組みに追いつかれないようにそこそこのペースでロードを走った。


何度かカーブを曲がると見憶えのある最終の長いストレートに出た。時々人がすれ違ってハイタッチをしながら走って行く。人が増えてきて、ようやくゴールゲートが見えた。幻覚じゃないよな。両側からキャンピングチェアに座った女性たちが大きな声援を送ってくれる。とても嬉しい。サンキューサンキューと言いながら走る。

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コングラチュレーション!アナウンスで名前が読み上げられる。読み方変だけどいいよ。

ガッツして天を仰いでゴールをくぐった。さすがに涙が出た。

なんだか、みんな、ありがとう。

 


17時24分15秒

 


32時間24分15秒の旅が終わった


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<ゴール後>


ゴール後にみんなに報告しようとスマホを立ち上げたらゴールおめでとうってで出ててびっくりした。まさかタイムラインで応援してくれていたとは。泣けた。


足をバケツに入れさせてハンバーガーを振る舞うホスピタリティすごい。しかも車までルナサンを取りに行ってくれるほどおせっかいがうれしかった。


周りにいた人達にコングラチュレーションっていっぱい言われた。


車に乗る前に栓を抜いたビールをプレゼントされた。飲酒運転になるので飲まずにそっとモーテルまで持って帰った。


帰ろうとしたらおじさんにバッテリーが上がったので助けてくれと言われて、車のバッテリーをつないであげた。


隣町のスーパーで1人祝杯を上げようとビールを買っていたら、レジに並んでいたおじさんに、お前キャスケード完走したのかよすげーじゃねえかと言われた。これ一番うれしかったかも。なんで隣町まで知ってるのよ。


またねアメリカ。

 

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