100マイルの終わらない物語

100マイルの山岳レースに挑戦した記録です。長いです。だって100マイルだもの。

UTMF2018 100マイル完走記

UTMF Ultra Trail Mount Fuji (2018.4.26-27)


思えば2年前、スタート直前に聞いたコース短縮に、崩れ落ちる思いだった。あの時の絶望感。しばらくは富士山を見たくなかった。夕暮れの駐車場で見上げた富士山の姿は忘れない。

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だがしかし、全ての事が今日の日のためにあったのだという事が、今ならわかる。今年が最初の完走で、本当に良かった。そんな2018年のウルトラトレイルマウントフジだった。

 

スタート地点

新幹線とバスを乗り継いでこどもの国についた。昼前に着く遅めの便にしていたので10時間ほど眠る事が出来た。スタート地点ではSTY選手がスタート待ちをして、開会式が始まっていた。さすが国内最大の大会、華やかでフェス感がある。初めてSTYを走る優子さんに会うとチーズのプレゼント。九州から戻ってきたイチョムラさんも元気そうだ。みんなのスタートを送り出して、ゼッケンをもらい装備チェックを受けて岩クラメンバーのもとへ行き、装備を整える。天気は曇り空で意外に肌寒い。のんびり牛飯なんぞ食べていたら、荷物預けが14時だったので焦る。タイムチャートを無くして焦ってその場で作るというようなバタバタもまたご愛嬌だ(結局ザックのポケットに入っていたのだが)。スタート地点で岩クラメンバーで写真を撮って気分も盛り上がってくる。さあ、長い旅の始まりだ。

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スタート~A1富士宮

カウントダウンからいよいよスタートだ。もみくちゃになってゲートを通ると、左側に4thのメンバーが居て声援を送ってくれた。しばらくロードを登って行く。そういえば2年前は大雨の中この道を登った事を思い出す。あの時は前日のMFで爆走(ヤケ走り)をしたため足に痛みを抱えながら、STYも走れる事になるなら無理をするんじゃなかったと後悔をしながら、ゆっくりとこの道を行ったんだった。しばらく行くと林道に入る。心拍を見ながら上がり過ぎないようにペースをキープするが、いつもの心拍計エラーで高めの表示になってしまったので、感覚でマフェペースで走っていった。

林道の向こうから「エンジョイ!エンジョイ!」と甲高い声で叫びながら歩いてくる全身ピンクのサイコなお婆さんがいて、すれ違うと増田明美だった。次第に汗ばんで、スタート地点で寒いのでザックの下に羽織ったパワーグリッドを脱ぎたくなる。粟倉のウォーターエイドに着く前にパワーグリッドを脱いで、身軽になった。さあ行きまっせ。粟倉を出ると送電線の下のトレイルを往く。細かなアップダウンを繰り返しながら進んでいくと、思ったよりはかなり早く17時30分過ぎにはA1に着いた。富士宮なので焼きそばを期待していたら無かったのでがっかりしたが、持ってきたパンにトレイルバターをつけて、オレンジとバナナを頬張る。天子のために予備の水をいろはすペットボトルでザックに入れて(結果これに助けられた)、岩クラのメンバーに挨拶をしてエイドを出た。さあいよいよ最初の山場、天子山地だ。

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A1~A2麓 50km

しばらく町中を走って行くと、見慣れたトレイルの入り口が出てくる。天子山地だ。ここで足を使うと後半絶対に厳しくなるので、絶対にマフェペースで行こうと心に決めていた。次第に足下が見えなくなってきたのでヘッデンをつける。心拍計もようやく正常値を示すようになってきたので、140台を超えないようにマフェペースで登って行った。

谷状のトレイルをしばらく登ると一旦ロードに出て、そこから本格的なトレイルに入る。一度トレイルを登りかけたがロードに戻り直してアミノ酸を補給して気持ちを落ち着ける。さあここから本格的な登りだ。登りのトレイルは緩い渋滞だったがペースとしてはむしろ有り難かった。1時間毎にジェルを補給するのを忘れないようにした。中国人選手や欧米系も多かったが、やはり登りは外国人は速い。マントラのように独り言を唱え続ける欧米人もいて何を言っているかはっきりはわからなかったが、なんだか面白かった。焦らないように、常に心拍をチェックしながら、抜いてもらいながらゆっくり上がっていった。脳内ではストーンズのLoving Cupが何度もリピートする。もう何百回何千回と聞いてきた曲なので、ヘッドホンなんか無くても、一つ一つの楽器が手に取るように頭の中で鳴っている。

しばらく登った末に緩やかな尾根に出た後に、本格的な登りが始まる。天子は何度かピークを通過しないと最後の熊森山には到達しない事がわかっていたので、気持ちを長く構えて、ひたすら目の前の坂を登っていった。さすがに天子への登りは急登で、斜面に座り込んで休憩をしている選手も出てきた。あとSTYの最後尾の選手達を抜くようになったのもこの頃からだった。途中から急登のロープなどを通過して、ようやく最初のピークに出る。山頂は寒さを心配していたがそこまでではなくTシャツとアームカバーで十分だった。そして何度かの登りを繰り返して長者ケ岳に辿り着いた。たしかここが山頂セクションの中間地点だったはず。まだ先は長い、焦らずに行こう。結構な下りが始まると、ああまた下った分登らないといけないのかとブルーになる。なぜなら下った先にヘッデンがまた列を成して縦に見えるのだった。とにかく無心で進んでいく。何度か登った先に見覚えのある小屋が見えて、暗闇から池田さんが声をかけてくれた。「良いペースだよ」。ペースが遅すぎるかと少し焦りもあったので本当に安心した。写真をとってもらい、「ここから熊森山はすぐだよ。あとエイドまで2時間くらい」と送り出してもらったのだが、ん?2時間?と思っていたらやはり全然すぐじゃなかった笑。まだかなーと進んでいるとようやく熊森山について、そこから本格的な下りパートに入った。試走の時はガレた苔石の下りが走りにくかったが、正式コースは比較的下りやすかった。

しばらく下りて行くとようやくロードに出る。ここからエイドまでがまだ距離がある事はわかっていたので、焦らず飛ばさずロードの下りを下りて行く。この頃にらソフトフラスクのスポドリ2本をほぼ飲みきって、予備のペットボトルの水が美味しかった。途中水場で列が出来ていたので、水切れギリギリのランナーも多かったのだと思う。そして再びトレイルに入り、何度かのアップダウンを繰り返した後にようやく麓エイドについた。23時30分。前のエイドを出てから実に6時間近くがかかっていた。

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A2~A3本栖湖 65km

麓エイドには先行した岩クラメンバーが沢山いた。僕より全然早いランナーがまだエイドにいたり、胃腸トラブルで潰れていたり、やはり天子は恐るべし悪魔の山だ。エイドでは富士宮焼きそばをふるまっていたので、3杯お代わりをした。磯さんがエイドに駆けつけてくれた。「まだ行けるでしょ」。そうですね、まだ50km地点、まだまだ序盤ですものね。「きららで待っているから」と言ってもらい、エイドを出た。

エイドを出ると強烈に寒かったので、パワーグリッドをザックの上から羽織って震えながら進んで行った。右手に真っ黒な富士を見ながら、肥料の臭いがしたので多分農場なのだろうか、広い高原の横を進んでいった。このあたりから歩いているランナーも増えてきたので、ジョグで抜かしてもらいながら進んでいく。しばらくだらだらと行くとトレイルの入り口にきた。このパートは試走をしていない初めてのパートだ。確か偽ピークがあったというような事を聞いた気がしたので、期待しすぎないように進んでいった。割としっかりした登りを行くとピークらしい峠に出た。ここでMFとSTYでコースが分岐していたが、MFはもう一段登らなければならない。我慢の登りで進んでいくとようやく竜ヶ岳に到着。

真っ暗だが眺望が開けて、向こう側に町の明かりと本栖湖が見えて、夜なのに絶景だった。話に聞いていた通りITJのような笹に囲まれたシングルトラックで、夜走っても気持ち良かった。笹トレイルを下って行くと本栖湖湖のロードに降り、しばらくロードを走ると向こうに本栖湖エイドが見えた。2年前には逆方向の山から下りてきた見覚えのある本栖湖エイドに、今回は登りながら到着した。2時48分。

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A3~A4精進湖 77km

本栖湖エイドではほどなく北野さん、なおちゃんが到着。なおちゃんは眠気が来てペースダウンしたらしい。ここのエイドでは湯葉丼があったので何杯もおかわりをした。そういえば2年前はここのエイドで湯葉丼も売り切れて、水くらいしか無くて野戦病院みたいだった事を思い出した。米を食べると腹に力が入る気がした。休みすぎないように補給を済ませるとエイドを出る。ここからはいきなり登りだ。さあ次のエイドには仲間が待っている、絶対に辿り着くぞ。

烏帽子岳まで登ってトレイルを進むと、次第にトレイルが白んでくる。聞き覚えのない鳥のさえずりが聞こえ始めて、ああなんて美しいと聞き惚れながら進んでいく。求愛の声だろうか、呼びかけと応えが交互に木霊する。鳥の声を美しく創造する必要はあるのだろうか。なぜ自然は美しく創られたのか。そんな事を考えながらトレイルを進んで行った。

ちょっとした岩場登りを経て烏帽子岳へ出た。トレイルを朝焼けが照らして本当に美しかった。そして唐突に視界が拓けてパノラマ台に出た。目の前には夜明け前の巨大な富士山。その手前に広がる樹海。何という荘厳さだ。思わず声がもれた。夜明け前の最高のタイミングでパノラマ台を通過本当にラッキーだと思った。写真撮影をして、そこから下りに入って行った。下り切るとしばらく平坦な明らかにこれまでとは違う感じのトレイルに出た。いよいよ富士の樹海に入った。並行してロードが走っているようだ。前を走る外国人ランナーにあとどれくらいでエイドかと聞かれたので、2、3kmくらいかなと答えると、そんなにあるのかと言われた。ほどなくロードに出てスタッフに「あと500m」と言われた。ごめんね。間違ってました。そしてほどなく精進湖エイドについた。エイドの手前で岩倉メンバーが「塚田さん!」と声をかけてくれて、ドロップバッグのゼッケンメンバーを読み上げてくれた。5時53分到着

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A4~A5勝山 94km

本栖湖エイドでは大歓声で迎えてくれた。星野アニキと島田さんが「イエーイ!」とハイタッチで迎えてくれた。虎さんがドロップバッグを渡してくれた。ドロップ係の北斗さん設楽さんも元気そうだ。エツコちゃんもフードスタッフで笑顔だった。みんなに迎えられて本当にうれしかった。椅子に座って食べ物を取りに行くと、牧さんがカップヌードルを持って歩いていた。そうか、その手があったか!ドロップバッグにパンではなくカップ麺を入れておくべきだった、大失敗だった。仕方なくお湯でパンを流し込んだ。なぜお湯が飲みたかったのかわからないが、少しでもカップ麺の気分になりたかったのだろう。先で合流する仲間のサポートチームにメッセンジャーで「出来ればカップヌードルを食べたい」と伝えた。岩クラ色紙にメッセージを書きこんだけど、キーちゃんやシンさんのタイムが速すぎてびっくりした。一方で意外なメンバーが潰れていたり、いよいよ100マイルのドラマが始まったという感じだった。結局ウェアもシューズも変えず、ジェルだけ後半用の粉飴に変えて、岩クラメンバーに大声援で送られながらにエイドを出た。

エイドの外にVibram香港で出会った高齢のランナーがサポートをしていて、少し会話をしてからトレイルに向かう。トレイルは樹海だった。例のデッドポイントはすぐにわかった。横を通過しながら体の前でそっと手を合わせた。ほどなくロードに出る。ここから長いだらだら登りだ。歩きで登りながら走れるところはジョグでゆっくり登っていった。試走を思いだしながら富岳風穴のところまで来て麦茶を自販で補給するとまたロードを先に進んだ。ようやく鳴沢風穴まで来て、ゆっくり坂を登って行くと、売店でミーシャの包み込むようにが流れていて、感受性が敏感になっていたのだろうか、何でもない曲に心が震えて聞き惚れた。鳴沢からは樹海トレイルを少し走ると国道の下をくぐってようやく紅葉台の入口に到着。試走を思い出して「おお来たー」と思わず声を漏らすと、スタッフがいて「84km、中間地点です!」と教えてくれた。ようやく半分まで来た。まだまだ体は大丈夫だ。ここからの紅葉台は高さも無く気持ちの良い区間だったはず、リラックスして行こう。

随分日が昇って明るくなってきたトレイルを登っていく。左手には西湖が見えた。確か試走ではこの先にものすごい眺望の高台があったが、コースは高台は通らずに足和田山を通過して、次第に下り基調のトレイルになっていった。長い下りを行くと、右手に絶景の富士山が見えた。2年前はこのトレイルを逆に登りながら左手に見えた富士山をはっきりと覚えている。雨でコース中断と発表があったのに、富士山がくっきり見えて、なんで中断したんだ、こんなに天気が良いなら最後まで行けるじゃないかと思った事を思い出す。その後荒天になり考えが甘かった事に気付かされたのだが。

ようやく目の前に河口湖が見えてきた。寺の境内を通り、少し登り返しを経てようやく河口湖畔のロードに出た。随分気温も上がってきたロードを走りながら町中をしばらく走り、地下道をくぐって目の前に富士山を見ながら、ようやく9:30頃に勝山エイドに到着。

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A5~A6忍野 113km

勝山エイドには4thラントライブのむらむらさん、優子さん、ぐっさんが待っていてくれた。優子さんにSTY完走おめでとうを伝える。椅子に座らせてくれたり心遣いが嬉しい。そしてついに念願のカップヌードル!めちゃくちゃ美味くて体中に元気がみなぎってくるのがわかった。おにぎりもほおばる。ぐっさんがジェルやら菓子パンやら沢山並べてくれたが、もうこれだけでお腹いっぱいになったので、ジェルだけいくつか追加でもらっておいた。暑くないか?アイシングする?と気を使ってくれたが、まだ特に疲労感も無かったので大丈夫ですとありがたくお断りして、A8のきららで会いましょうとエイドを出た。

勝山から忍野までは最も山の少ない高低図だったので、気持ちも楽だ。ロードの緩やかな登りをジョグで行きながら、途中で左手に富士急ハイランドのコースターが見えるロードを進んでいく。家族と来た一年前の富士急を思い出す。いまGWに富士急にいる若者たちも遊び疲れたりするんだろうか。そんなどうでも良い事を考えながらロードを進んで行った。ロードサイドにコンビニが出てくるようになったので、それほどまだ疲労も無かったが早めにコンビニでキレートレモンでクエン酸補給をする。そして単調なロードを進んでいくと神社の境内に入った。警備をしているスタッフに参拝のカップルが「これ一体何のレースですか」と聞いていた。連休に富士山の周りを160kmも走っていると聞いて、あのカップルは何と言ったのだろうか。そんなの聞かなくてもわかる。クレイジーだなと。

神社の駐車場を抜けてロードを進んでいくと、突然小山の入り口に出た。これが忍野前の最後の山のはずだ。入口でスタッフが「登って下りてすぐロードに出ます。次のエイドまで10km」と言っていた。10km?おかしいな長いぞ。そんな事を思いながら山を登ったが、これがなかなかの急登で身体が重い。必死に登っていってようやくピークに達し、下っていくと再びロードに出た。そしてこの後のロードがまた長かった。エイドまだか。まだか。そんな思いで進んでいくと、エイドどころか逆にトレイルに入っていった。エイドの手前は舗装していないのかな、など考えていると次第に登りにさしかかってきた。前を行くランナーが「携帯の充電が切れそう。これからもう一山あるからあと1時間半はかかる」と電話をしているのを聞いて絶望感を感じる。そうかここからがエイド前最後の山だったのか。

この山が結構な大きさの上に急登で本当にきつかった。暑い日差しの下ハゲ山のようなところをふらふらと登って行く。ようやくピークらしきところまで来ると、カメラマンがいて写真を撮ってくれたので空元気でポーズをとる。「あと3km」はいはい、ということはまだピークは先ですよね。全くその通りだった。ようやくピークを過ぎて下っていった。そしてやっとたどりついた忍野エイド。13時45分だった。

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A6~A7山中湖 127km

エイドに入る前に装備チェックでレインやエマージェンシーシートなどをチェックされた。これだけ良い天気だとドロップバッグにしまってしまった人もいるのだろうか。忍野エイドは本当に何も無くてがっかりした。とりあえず次の山中湖まで行けばサポートチームがカップヌードルを持ってきてくれるので、そこまでの補給としてエイドにあったアンパンやオレンジを無理やり腹に入れて、階段で一休みする。牧さんが到着して、ここまでの区間が本当に面白くなかったとぼやいていたのが面白かった。牧さんはおにぎり二個とオレンジジュースを持っていて、さすがロングレース慣れしている人は違うなと感心した。牧さんが少し寝ますとベンチに行ったので、トイレを済ませて早々にエイドを出発した。エイドを出るときに「ここから次のトレイルの入り口までの長いロードが面白くない」と言っている人がいたのだが、全くその通りだった。面白味の無い川沿いの田舎道を行くのだがあまり走る元気が出ず、少し走っては歩きを繰り返してノロノロと進む。途中で自販があったので無理やり横道にそれたが、ほとんど売り切れだったので仕方なく乳酸菌飲料を飲む。これで少し元気が出たのか、富士山が正面に見える田んぼのあぜ道のようなところを通り、ゆっくりとジョグで進んでいった。あぜ道、工場の横、そんな生活の哀しさを感じるような道を進んでいくとようやくトレイルの入り口が見えてなぜかホッとした。

トレイルを上がって行くと遠く右手に富士山が見えた。ここを超えれば山中湖だ。「山中湖までくれば後はゾンビでも何とかゴールまでは行けるから」と磯さんが言っていた事を思い出してがんばる。太平山を越え、景色の綺麗な高台で富士山の写真を撮った。その先の石割山への登りは急でエグかった。随分疲労も溜まってきた足で階段やロープセクションを必死に登って行く。ようやく上の方から声が聞こえてきた。やっとの思いで石割山に登るとチャンプさんが待っていてくれて握手をした。意外なメンバーが前半で潰れて苦労しているという話を聞く。みんな大丈夫かな。振り返ると絶景の富士があった。少し気持ちを落ち着けてチャンプさんに別れを告げて下っていった。

急な下りを下りると林道に出た。ここを下っていく着地の時に左足首の前側に痛みを感じた。これにレース後半で苦しめられることになるとは思わなかった。時計を見ると17時過ぎだった。スマホを見ると「18時頃に山中湖到着で大丈夫?」というメッセージが来ていたので慌てて「早ければ17時半頃には到着します」とメッセージを送って駆け下りていった。林道からロードに出て、途中の自販でオランジーナを飲んで先へ進んだ。元岩本町の田中さんという方と一緒に山中湖畔を走りながら、山中湖エイド到着。17時33分。

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A7~A8二十曲峠141km

山中湖エイドには磯さんが待っていてくれた。補給の終わった棟さんもいた。「早い早い。さすが経験者は違うね。」と言ってくれて嬉しかった。棟さんが席を譲ってくれて、座らせてもらった。「何でも欲しいものを言ってね」といいながら磯さんがバッグを降ろしてくれて、すごい勢いで水を補給したりゴミを捨てたりしてくれた。その後にクリームを塗って足をマッサージしてくれたのが有り難かった。「痛いところとか無い?」と言われたので「まだ大丈夫です」と言うと「いいね」と言われて肩もぐりぐりと揉んでくれて、痛くて思わず声がもれたが、気持ち良かった。実際、マフェトンペースをキープしていたせいか、筋肉疲労はあるものの全身の疲労感や倦怠感はあまり無かった。夕暮れが近づいてきて「この時間に登ると富士山と夕日が綺麗なんだけどね」と磯さん。4thメンバーがいつ到着するのか気が気で無かったので、カルピスだけもらって磯さんに別れを告げる。この後4thサポートメンバーが到着するまで待っていたのだが、ぐんぐん気温が下がってきた。岩クラの虎山さんが通りかかって寒そうだねと自分が着ていたダウンを羽織らせてくれた。このダウンが無ければ体温が下がって危なかった。ぐっさんが来てくれて、カップヌードルのカレー味を持ってきてくれたので、お湯の到着を待つのも寒かったので申し訳ないがエイドでお湯を借りて先に頂いた。むらむらさんも到着、挨拶をしてゴールで会いましょうと言ってすぐにエイドを出発した。

エイドを出てしばらくは身体が冷えて動かなかったが、ほどなく明神山のトレイルに入り登って行った。前後に人がいない真っ暗な斜面。振り返ったがもう陽はかなり落ちていて、富士山のシルエットが見えただけだった。再びヘッデンをつけて、何度かマーキングテープを見失いながらゆっくりと登って行った。ようやく明神山の上までついてまだ下る。この頃から左足首に嫌な痛みが出るようになった。登りは何ともないが下りで鈍い痛みが走る。磯さんにマッサージしてもらうべきだっただろうかと後悔する。この痛みはどれくらい続くのだろうか。痛みが出ると痛みに思考が奪われてしまう。長いトレイルの中でいいかげん痛みの事を考えるのが嫌になってきたので、途中でロキソニンテープを足首に貼った。

こうして長い夜のトレイルを行き、試走で平野さんと来た「平野」の分岐を何度か通ると山伏峠の看板が出てきた。登ったり下ったりで長い。長い。痛い。色々身体の動かし方を工夫するがなかなか左足首の痛みは完全にはとれない。そうしているうちに右膝の内側も傷んできた。そのうちにようやく山伏峠についた。さあここから本格的な山だ。何度もロープセクションが出て来て、本当にきつかった。手の力を使いながら必死に登って行く。木段もあったが疲れた足にはむしろ木段の方が力が逃げないので登りやすかった。しかしきつい。一体どれだけ登るのか。夜の山ではるか上の方にヘッデンの明かりが見えた時の絶望感たるや。むろん苦しいのは自分だけではない。後ろの方で「えーまた登るのかよー」という悲鳴が聞こえたこともあった。

こうして何度も登らされて、少し下りて、また登らされて、、というのを繰り返した末に、正面に巨大な黒いシルエット。その上から聞こえる声。心底絶望感を感じたとき、スタッフの姿が見えて「山頂には行かずにここから下りです。」の声が。本当に助かった。下りは土嚢のようなものがあってスリップして何度も尻もちをついたが、それでもこれ以上登らされるよりはマシだった。下りをしばらく降り切ったところに二十曲のエイドの明かりが見えた。22時45分到着。

 

A8~A9富士吉田155km

二十曲は全てのエイドで最も標高の高いところにある山中のエイドだった。やはりあまり食べられるものは無かった。奥ではうずくまっているランナーがいたり、温かいテントの中は疲れきったランナー達の避難所になっていた。エイドでは温かいレモンティーを二杯ほどもらい、軽くつまんであまり長居をせずにエイドを出た。さあいよいよ杓子山。後半最大の難所だ。

杓子までは真っ暗な山のトレイルをだらだらと登って行く。時折走れるパートもあったが、相変わらず痛みは友達だった。体の大きな欧米人をパスして先へ行くと、後にも先にも誰もいない、完全な孤独の闇の中を行くことになった。つづら折りを経ていよいよ本格的な登りのパートへさしかかった。時にロープを握りながら急登を上がって行くと、闇の中にテント群が現れて、こんな山中に幻覚ではないかと疑ったが本物のテントだった。そしてほどなく目の前に巨大な岩が現れた。さあいよいよロッククライミングパートだ。

ほとんど垂直の岩にロープが垂れ下がっていて、スタッフが岩の上で注意を促してくれている。「ここから15分ほど同じような岩場が続きます。」先程のテントはスタッフの休養所だったわけだ。こんな2000m近い夜の山の中で誘導をするなんて、本当に頭が下がる。岩にへばりついて登って行くが、夜のロッククライミングは相当スリリングだった。さすがに疲労でふらついたりもしたが、絶対に落ちるわけにはいかないのでしっかり岩や木の枝をつかみながら慎重に進んでいく。岩のやせ尾根を進みながら、でもどこかで「杓子山は何度かの偽ピークの後でまだ先だから期待するな」と冷静に言い聞かせていた。怖い怖い岩場パートを抜けてようやく下る。杓子はまだ先だ。慎重に行こう。下りになると痛みが顔を覗かせる。下ると前方に黒い塊が見える。そしてまた登る。まだだ。まだ先だ。下る。登る。まだだ。期待するな。何度か繰り返した後に、遠くで鐘の音が聞こえた。杓子の鐘だ!こうしてようやく杓子の山頂につくと、そこには沢山の中国人ランナーが休憩していた。見慣れたあの鐘がそこにはあり、眼下には夜景が広がっていてとても綺麗だった。嬉しくて鐘を鳴らしたが、思いのほか音が大きくて申し訳なく思った。

ようやく最後の難所を越えたという安堵感があったが、試走ではここからの下りがエグくて怪我人が出たことも同時に思い出していた。そんな急な下りを時にロープをつかみながら慎重に下っていく。本当に長い下りだった。ここで試走の時に誰々がこけたなとか、一旦止まって休憩したなとか、色んな事を思い出していた。この尾根を下りて行くあたりからヘッデンの反射光が人の形に見えるようになった。はじまった。幻覚だ。こうして下りの尾根を下りていき、つづら折りの下りトレイルをしばらく行くと長い林道の下りに出た。こうしてようやく林道が終わり、舗装路に出たところで遠くに夜の町が見えた。夜の町のいたるところにマーキングテープがあったのだが、これがくねくねした人に見えた。こんな深夜にいるわけがないところに人がいるように見えると、近づくとマーキングテープだった。しばらく行くと試走で寄った自販機に到着。ここで缶コーヒーを買って飲んだ。とても美味かった。再びロードを走って行くと誘導員が増えてきた。もうすぐエイドだ。しかしここから何度かエイドの幻覚を見て、エイドで手を振っているように見えて近づくとただの工事現場だったりという事が何度かあった。町を抜けて寂しい農道を抜けて行くとようやく行く手に本物のエイドが見えた。最終エイド富士吉田2時40分到着。

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A9~ゴール河口湖 168km

富士吉田のエイドにつくと高広さんがエイドでボラをしていた。この時間のエイドは人もまばらで閑散としていたが、この後明け方にかけてがボリュームゾーンになるのでこれから忙しくなるようだ。そしてうねちゃんも東京から最終エイドに駆けつけてくれていた。吉田うどんを食べているとほどなくむらむらさんとぐっさんも来てくれた。「すごい、よくここまで来たね」時刻は夜中の3時。眠そうな顔をして物好きな人達だなあ。ありがとう。本当に心底嬉しかった。足の痛みは相変わらず酷かったが、もうここまで来たら後は這ってでもゴールは出来る、この時はまだそう思っていたので心に余裕もあった。「ではゴールで会いましょう」一人一人と固く握手をして、高広さんにも挨拶をして富士吉田のエイドを出た。

痛みで走れなかったのでトレイルの入り口まではほぼ歩きで行き、マンションの横の見覚えのある入り口をくぐって最後のトレイルに入った。さあラスボスの霜山だ。ここはとにかくだらだらと長い登りがある事がわかっていたので、焦らず登って行った。だが想像していたよりもはるかに長い登りがそこにあった。

疲れて登りのスピードも出なかったので余計に長く感じたのだろうか。また途中で急登も挟んだので、背中のコリが限界に達していた。腰が痛い。斜面で何度か止まって腰を伸ばしながら、ひたすらゆっくり登っていった。登りの途中から明るくなってきて、途中でヘッデンを外した。中国人や日本人のグループの会話を聞きながら、のろのろと霜山を登った。ようやく見覚えのある木の橋が見えた。さあもうすぐピークだったはずだ。しかしまたそこから長いつづら折りの登りが続いた。足も腰も悲鳴を上げている。心拍は上がらないが息は上がる。こうしてようやくスタッフの待つ頂上についた。これでもう大きな山を登らなくていいかと思うと心底ほっとした。さあ後は河口湖へ下ろう。

そう思って走り出した時に身体の異変に気付いた。下半身がブレてぐらぐらする。何だか背骨がぐにゃぐにゃに曲がったような気分だ。何だこれは。何度か立ち止まって屈伸をして身体に正しい動きをインプットするが、走り出すと腰から下がブレて走れない。身体のコントロールが効かなくなったのは初めての経験だった。

しかも山頂の尾根は寒く、早く駆け下りたかったが走れないので仕方なくパワーグリッドを羽織って、よろよろと進んでいく。途中で一緒になって写真を撮ってあげたランナーに、腰大丈夫ですかと心配された。余程動きがおかしかったのだろう。ここからの下りはまともに走れなかったので、気持ちの良いはずの最後のダウンヒルが本当に苦痛の長い時間に感じた。ぶれた下半身を必死に抑え込みながら、這う這うの体でトレイルを下る。足も痛いし、散々だった。何度かロードをパスしてトレイルに入り直し、完全にトレイルが終わってロードに出たところでサポートメンバーに泣き言のメールを入れた。本当は5時台(38時間台)の早いうちにゴール出来るはずだったのに、これじゃや6時台(39時間台)がぎりぎりじゃないか。

ここから先はほぼ歩くしかなかった。スタッフのいるロードはがんばって走ってみせたが、それも長くは続かなかった。こうしてロードの最後の丘を歩いて越えて、とぼとぼと川口湖畔に降り立った。腰は完全に左に折れてしまった感じで、走る事はおろか、まっすぐに立つ事が難しかった。右足でかろうじて身体を支えて歩く状態だった。本当は気持ち良いはずの最後の河口湖ランを、歩きでとぼとぼと行く情けない自分。途中で「おい岩本町がんばれ!」と岩本マークを見たランナーに声をかけられてさらに凹む。

そうやって湖畔を歩いて行くとむらむらさんが待っていてくれた。気持ちが緩んで思わず声が漏れた。「もう全然走れないんですよ。悔しい」そう言って一緒に湖畔を歩いた。「よくやったじゃない」そう言って写真を撮ってくれて、気分が少し明るくなった。こうして最後の橋にさしかかった。そこで見えた富士山は本当に綺麗だった。「明るくなってゴールするのも良いもんですね」。一緒に歩きながら橋を渡る。沢山のランナーに抜かれたが、もう順位やタイムはどうでも良かった。橋を渡り終えるとスタッフがいて、階段を慎重に下る。さあもうゴールはすぐ近くだ。湖畔をがんばってジョグすると遠くから声援が聞こえた。うねちゃんとぐっさんだ。「いやー、もう全然走れなくて。」そう言いながらみんなと一緒にゴールに向かっていく。沿道で応援をしてくれているのでゆっくりでも走らないわけにはいかなかった。水越さんが写真を撮ってくれた。必死に走っているとようやくゴールへの曲がり角が見えた。最後のストレートはゆっくり歩いて、両側の人達にお礼を言いながらゴールを越えた。39時間36分12秒。最後はほろ苦い味のゴールテープだった。

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〈ゴール後〉

六花さんだけでなく鏑木さんがいて一緒に写真を撮ってくれた。嬉しかった。

 

鏑木さんに腰大丈夫?と言われて、いやー途中で力入らなくてと言うと、「マイルやる人、それよくなるんだよねー」と言っていた。マイル腰ってあるの?!

 

うねちゃんが大好きなPUNKIPAを買ってきてくれていた。ぐっさんとむらむらさんと乾杯した。雑炊なぞ作って色々世話を焼いてくれた。本当にうれしかった。

 

岩クラのメンバーも続々とゴール。迎えて、いろいろ語り合う時間が素敵だった。潰れたメンバーも全員完走。イワクラすごすぎる。

 

閉会式は2年前と同じく晴天で暑いくらいだった。あの日あの時に誓った絶対戻ってくるという約束を果たせた。

 

とにかく関わってきた全ての人のおかげで出来たゴールだった。ありがとう。それ以上に言葉が見つからない。

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